子供の本能

<質問>

学校に行きたいや勉強したいはわかりやすく、いかなくていい、やらなくていいと思いますが、
今は会いたくないと会っていない祖父母に、いとこが帰ってくるから会いに行きたいとか、プールに行きたいからサポートセンターに行きたいなどと言ってきたとき、登校刺激がある可能性があれば、一度は否定し意思を確かめた方がいいのでしょうか?
後追いを心がければよいでしょうか?

<回答>

不登校の子どもにとって、学校を意識することは、死ぬほど辛いことなのです。
子供には大人と違って成長のための本能があります。それをれっきょしますと
1)母親を大好き
2)同年代の子供の集団を大好き
3)その子供にとって新しいことを求める
4)その子供に与えられた環境に順応しようとする
この四つの本能は、人間の子供ばかりでなく、ほ乳類の子供に共通しています。この本能が機能をしないという場合には、子供は自然淘汰、子供にとって死を意味しますから、この本能が無い子どもは大人にならないうちに死んでしまいます。
子供の成長という場合には、少なくともこの四つが全て満たされていなければなりません。ただしその程度は子供によって異なるので、子供によって皆同じ姿になるとは限りません。その子供なりに満たされると表現した方が良いと思います。

上記のように自然淘汰と書きました。つまりこの四つの本能はダーウィンの進化論と同じ意味なのです。
またこの四つは、自然態で成長をしている子供では、子供が学校を求める要因になります。子供が学校を求める問うことと、子供が学校に行くこととは別ですが、子供が自然態で成長をしている限り、子どもは学校に行こうとすることは意味しています。

不登校の子どもとは、自然態で成長が出来ない状態になっています。子供の成長をしたいという本能が否定されている、つまり子供が生きていけない状態にされているという心の状態です。本来なら子供の死を意味する心の状態なのです。でも人間では、心が死を意味していても、体の死から親が守ってくれる場合が多いです。子供の体の死から親が子供を守ったとしても、心が死んでしまった場合が、子供が所謂精神病の状態になった時です。

登校刺激と書くと、子供を学校に行かせようとするという意味にしか理解できませんが、子供の心の奥底では、子供が死ぬ思いをしていると私が説明をする理由です。ですから、親が子供の体の死から子供を守ったとしても、子供の心が死んだ場合には、子供は自殺をしてしまいます。親が子供の自殺を意識しなくても、子供の心が死んだ状態を維持するためには、クスリで子供が自殺をしないように、子供の登校刺激に対する反応を抑えてしまう、死のうとする心の反応を抑えてしまうしか方法がないことになります。

子供にとって学校とは、それほど大きな意味があります。学校で子供の本能が満たされるなら、それは子供の成長になりますし、学校で子供の本能が満たされないと、それは本来なら子供の死を意味するのです。あくまでも本来なら、です。これを踏まえてお答えします。

>学校に行きたいや勉強したいはわかりやすく
わかりやすくと書かれていますが、不登校の子どもにはこれが出来ないのです。しようとすると、それは上記の理由で子供の死を、少なくとも心の死を意味するからです。そこまで理解していただいて、わかりやすいと言われているのなら、親としてそれで良いと思います。

>いかなくていい、やらなくていいと思いますが、
学校は子供の成長に適しているという意味ですが、子供の成長に適さない、かえって子供の成長を阻害して、子供の心を殺してしまうような学校なら、子供は学校に行かなくても自分で自分の周囲に自分の成長をしようとする本能を満たす場所を作りますから、学校に行かさなくても良いはずです。不登校でないことも、学校で辛くならない子供には、学校は子供の成長にとても便利なところなのです。

>今は会いたくないと会っていない祖父母に、いとこが帰ってくるから会いに行きたいとか、プールに行きたいからサポートセンターに行きたいなどと言ってきた
祖父母に登校刺激が無ければ、祖父母に会いに行くことは問題ないし、子供の社会性に役立つはずです。大切なことは祖父母に登校刺激があるかどうかの問題です。祖父母に登校刺激があるなら、ある可能性があるなら、不登校の子どもを祖父母の家に行かさない方が良いです。
プールに登校刺激があるかどうかで、それも同じ意味合いです。
サポートセンターは、不登校の子どもにはほぼ間違いなく登校刺激になります。ならない子供は特別な子供です。特別という意味は何かの理由で登校刺激にならないという意味です。
いとこの場合の判断は難しいです。まるで兄弟姉妹の様に、普段からそのいとこと楽しく過ごしている不登校の子どもなら、そのいとこに会っても構いません。そうでない場合には、会わせない方が良いでしょう。

>とき、登校刺激がある可能性があれば、一度は否定し意思を確かめた方がいいのでしょうか?
登校刺激がある可能性があるなら、否定し続けた方が良いです。一度だけでは、子供発の意思を確かめることになりません。何度も否定して、その否定を無視して自分から行動をする場合には、大丈夫です。登校刺激が無いと考えて良いです。

>後追いを心がければよいでしょうか?
登校刺激が無いなら、不登校の子どももその子どもなりに成長をしますから、その子どもなりの成長を親が認め続けるという意味で、子供の要求を100%だけ、即座に、笑顔で認める=後追いで良いと思います。