あまのじゃく

<質問>

現在15歳の、不登校で引きこもりの息子です。中学生時代には不登校で荒れて、とても対応に悩みました。現在は息子のありのままを認めるとで落ち着いてきています。今のところ、息子の希望で週末のみ通学する通信の高校に行ってます。私は起こしませんし、勉強もほとんど関わっていません。
名前も書けなかった息子が、今は学校のプリントを真面目にしているようです。ですが、私の目にはまだまだ元気になれてないように映ります。
最近は、私と話したいのか寄ってきて話をします。内容は否定的で、私に問う内容の話が多いのですが、私が答えると必ず反対の意見をいいます。例えば、息子が、「最近西洋人の外人の旅行者が多いよね。何でと思う?」ときくので、「円安になったからね」と答えると、「円安は関係ないよ」と否定されるのです。
息子がどんなに間違っていようが、必ず否定をしてきます。私も始めは共感的態度で接していましたが、あまりに否定されるので、返答に困ってしまいます。返答しないと怒ります。どのようにしたらいいですか?一緒にいるのが苦痛です。
機嫌が良い時は私にくっついてきます。

<回答>

このあまのじゃく的な反応の仕方は、幼い子供が自我を主張しだした頃に見られる減少です。15歳の子供では一般にこのようなあまのじゃくのような反応の仕方はありません。

しかしこの男の子は不登校、引き籠もりの際にかなり辛い経験をした子供だと考えられます。母親の対応の変化で心が元気になってきたと母親が表現しています。其の母親の観察を信頼するなら、不登校引きこもりをしなくてはならないほど辛い経験を続けた、つまり以前の母親の対応は子供の心を辛くしたので、辛かったのです。15歳ですから、その母親の辛い対応が未だ記憶に残っています。

多くの不登校引きこもりの子供では、この母親からの辛い対応を、母親の対応の変化で忘れてしまう物ですが、この子供では未だその子供としてはっきりとした自己主張が出来るようになっていないと考えられます。そしてその子供は心が元気になって行くに従って、自己主張の練習を再度行っていると推測できます。自己主張の練習ですから、この子供には自己を主張することに意味があります。其れが真実か、正しいことなのか、と言う判断の仕方はこの段階ではありません。

多くの子供では子供の主張を母親が受け入れることで、子供は自己主張の練習になるのですが、この子供の場合、自己主張を試みて其れを母親がすんなり受け入れてくれても、無意識に母親の意見の逆を言ってしまいます。この子供の意見も認めてくれと言う意味ですっが、其れは正しいという意味で認めてくれと言う意味でなくて、その子どもなりの意見も認めてくれ、親の常識とは異なるその子どもなりの意見(その子どもがとっさに思いついた意見ですが)を御母様に認めてくれと言う意味です。その子どもの意見が正しいか間違っているかという問題ではなくて、その子どもなりの意見を認めてくれと言う意味です。

幼い子供では、その結果が知識となって子供の記憶に残りますが、この子供、15歳の年齢では、その子供なりの知識を持っています。その知識に反する答えを母親に求めたとしても、其れを自分の知識にするという意味ではありません。母親の常識からの、知識からの答えを子供が否定すると言うことは、その母親の知識を否定したその子どもの意見を母親が受け入れるかどうかを見ているのです。きっと母親の意見が正しいと知っていると思います。しかしそれに反対する、母親の常識からの意見を否定することで、其れにより母親がどのように反応をするのかを見ています。その子どもが間違ったことを言っても、母親がその間違った答えをその子どもにとっては、この瞬間は正しいことだと認めることで、その子どもはこのあまのじゃく的な行動の仕方をだんだん止めていくと思います。

続きます。