悲しすぎる

娘に外へ向かう動きがないということは、落ち着いているけれど、まだまだ心の辛い状態が続いているのですね。
昨日は、朝、娘が「ママ、悲しすぎるー」と言って布団に入ってきました。悩みごとがあるみたいでしたが、「悲しいの」と言って、抱きしめました。2人でたわいもないことをしゃべっていると、娘は「友達に相談するよりもママに1発で慰められる(癒される、と言ったかもしれません)」と言って、少しして、また自分の部屋にもどっていきました。なんの相談にものってないのにおもしろいです。

<解説>

>娘に外へ向かう動きがないということは、落ち着いているけれど、まだまだ心の辛い状態が続いているのですね。
1)心が辛くて、家の外に登校刺激がある
2)家の外より、家の中の方が、心のエネルギーを高められる
3)家の中に、自分の心のエネルギーを注ぐ物がある
の可能性を考える必要があります。多くの不登校の子どもは1)の状態です。登校刺激が無くなると2)の状態になります。そこで心のエネルギーが貯まると、子供は子供の持つ本能から家の外に向かって動き出します。但し子供の中には家の中に自分の心のエネルギーを注ぐ物がある場合、家の外に向かう動きは見かけ上弱いです。けれど2)から3)になる子供は少なくて、心のエネルギーが大きくなると家の外に自分の心のエネルギーを注ぐ物を見つけて、学校に行かないけれど家の外での活動が、生活が多くなります。その様な子供では、

>昨日は、朝、娘が「ママ、悲しすぎるー」と言って布団に入ってきました。悩みごとがあるみたいでしたが、「悲しいの」と言って、抱きしめました。
このお嬢さんの姿から、具体的に何か悲しいことがあったのではなくて、お嬢さん自身でも分からないことで悲しく感じた(其れはきっと辛いと言う意味をお嬢さんは悲しい過ぎると表現したのだと思います)のでしょう。このような場合は、ほぼ間違いなく自己否定を起こしたのではないかと思います。今のお嬢さんの姿をお嬢さん自身が観察して、これではいけない、どうにかしなくてはならないと、けれどどうにも出来ないという意味ではないかと推測します。この自己否定は、情動の回避系でもとても強い回避系です。特に心が強い回避系にあったときに、自己否定を生じると、精神疾患の症状を出したり、自傷行為や、自殺をしたりします。

>2人でたわいもないことをしゃべっていると
具体的に悲しくなる物にお嬢さんが気づいていないという意味だから、自己否定をしている思いを他のことについてのおしゃべりで忘れていると、自己否定をするのを忘れてしまったという意味だと思います。

>娘は「友達に相談するよりもママに1発で慰められる」と言って、少しして、また自分の部屋にもどっていきました。なんの相談にものってないのにおもしろいです。
母親との雑談で、自己否定をしていた思いを忘れてしまったのだと思います。それだけでもお嬢さんは楽になったのでしょうが、たわいもないことをしゃべられるようになったのは、母親からの共感の言葉とスキンシップがあったからだと思います。つまりお嬢さんは母親からの共感とスキンシップで心が楽になり、母親との雑談をすることが出来るようになった、その結果自己否定をしていた思いを思い出すのを忘れてしまったという意味だと思います。