母親の母性が機能をし始めている

>ずっと家で楽しい事をして居てとの一方でこれらのお母様の言葉は、結局現在の子供の姿を否定している事になるんではないのか?と。
ありのままの子供の姿を母親自身がその時までに持っている知識で認めているのではなくて、他人から受け入れた知識で子どもを見ています。母親の都合から、今の子供の姿でなく、母親が希望する姿を求めていますから、確かに子供の否定になっています。

この時考えなくてはならないのは、母親が大人の心を持っていることです。子供が家の中に引きこもっている姿を許せる知識を、この時点の母親は持っていません。他人から受け入れた知識で、目の前の子供を認めるには自分を自分で説得する必要があります。その説得のために、目の前の子供とは違った姿に将来はなる妥当という希望を持って、自分を説得しています。つまり目の前の子供をそのまま否定しないで受け入れるために、今自分の持っている知識では受け入れるのが難しいので、その今持っている知識を否定するためにこの言葉を使っています。

言葉では目の前の子供を否定する発想ですが、目的は目の前の子供を受け入れるためです。目の前の子供を否定しようという発想ではなくて、目の前の子供を受け入れられないで居る自分を否定しようとする発想です。言葉自体が目の前の子供を指しているのではなくて、母親自身の思いを指して否定しているのです。その結果目の前の子供には、目の前の子供を受け入れる発言をある意味で無理をして発言することになります。自分を否定してまでも子供を守ろうとする母親の母性(これは情動にありますから、母親の知識では直接理解できません)が機能をしている姿です。

>これで腑に落ちた、合点がいったというお子様の言葉は、果たして本心のものなのか?と。
この母親の子供を受け入れようとする言葉が、子供にとってとても強い情動の接近系ですから、それまで子供の情動にあった回避系を昇華して余りあったので、子供の心がとても楽になり、つまり子供の情動が接近系に機能をしたので、その接近系からの言葉が子供の言語行動、言葉になっています。子供の本能は知識でなく情動ですから、この子供の言葉は子供の本心だとなります。

>私も、自分の子には言えませんね。
御母様は御母様なりにお子さんに対応をなさるので良いと思います。それでもこのブログに参加してくださっていますし、このMSGに否定の形でも参加してくださっていると言うことは、御母様の母性が機能をし始めていると私は判断します。

>お子様が本心からお母様の一連の言葉に安心されているのなら
母親の言葉は母親の本心からではありません。しかしその言葉を言わせた母親の母性を子供は感じ取って所謂安心=子供の情動が接近系の状態にあるのです。

>この親子さんにはこの親子さんなりのこのやりとりなんだろうなぁとも思いますが、どうしても上記の点が私は気になります。
おかあさまは、この母親が自分を説得するために、このようなやりとりをしたのが未だ腑に落ちないのは仕方がないです。でも御母様の母性が機能をしだしている姿が、この一行から感じられます。

>解説なく記事にされたという事は、この親子のやりとりは正解という事?
この親子に関しては、子供の心に沿っている母親の発言という意味で正解の一つです。間違っていないと表現すると良いのかも知れません。もっと正解があることは、すぐ前のブログで述べてあります。

>違和感を感じてしまった私はまだまだ修行が足りないのかな?
このMSGを読まれて反応をなさったという点では母性が機能を仕掛けています。違和感を感じられたのは、未だ完全に母性が機能をしていない可能性があります。御母様の母性を機能をさせようとしても簡単にできる物ではありません。でも機能をさせようとなさっていらっしゃることが伝わってきています。あくまでもこのコメントからの私の勝手な推測ですが、御母様が思いきって御母様が持っていらっしゃる常識を捨てられたら、それを具体的に言うなら、御母様が思いつかれたことの逆をなさると、御母様の母性が機能をし出すのではないかと推測します。