お出かけのリュック

11歳の不登校の息子です。最近元気になってきて、群馬の母親の実家に一人で何日か泊まりに行くことになりました。昨日の出発のとき、息子がリュックを背負った時に、嫌な思い出が蘇ってきた!とリュックの重さをランドセルと感じたようです。私は何も言いませんでしたが、こういう言葉は本当に嫌な記憶が蘇ったのでしょうか?なんとなく言いたくなったのでしょうか?

<解説>

>11歳の不登校の息子です。最近元気になってきて、
ゲーム漬け、ネット漬けで、母親は息子を見ない、言わない、笑顔を実行し続けた結果の姿のことです。

>群馬の母親の実家に一人で何日か泊まりに行くことになりました。
家の外に、息子にとっての登校刺激が無くなったという事実でしょう。

>昨日の出発のとき、息子がリュックを背負った時に、嫌な思い出が蘇ってきた!
息子の中に登校刺激が未だ残っていたという意味でしょう。

>リュックの重さをランドセルと感じたようです。
この母親の判断は息子の心に沿っています。息子の周囲に登校刺激は無くなっていますが、まだ息子の知識の中に登校刺激が残っていたようです。そしてリュックを背負ったとき、その感覚から知識の中の登校刺激が機能をしました。

>私は何も言いませんでした
その対応が良かったです。見ない、言わない、笑顔の対応法の一つです。

>こういう言葉は本当に嫌な記憶が蘇ったのでしょうか?
その様です。ランドセルを背負った感覚が未だ登校刺激として残っていたのでしょう。この時点までに殆ど全ての登校刺激が無くなっていた(登校刺激として機能をしなくなった)のに、なぜこの時まで、このランドセルを背負った感じが登校刺激として残っていたのか分かりません。

>なんとなく言いたくなったのでしょうか?
この登校刺激は極めて弱い物でした。息子はこの時実家に遊びに行く楽しさがとても強く働いていましたから、このランドセルを背負った感じが生じる登校刺激はこの楽しさに直ぐに帳消しにされたと考えられます。この息子の心の中で起こったことを息子は理解できません。息子の潜在意識の反応という形で瞬間的に現れましたが、それがまるで無かったかのように、意識下の、楽しさからの息子の行動になります。