希望をしない親切

ある不登校の子供を育てる母親からのMSGです。

大人のわたしがたまに、大人(年配、親世代。但し私の母親についてではありません。)に感じることです。なぜ、私のお願い以上のことを、やってくれようとするのか、意味がわからないことがあります。言ったこと、分かってない?それは、お願いしてないよね?と、イラつくことがあります。でも私も一応、大人だから、ゆずることもあるけど、たまに断ることもあります。ごくたまに、怒ります。親切で、というのは分かっています。これは、わたしが大人になりきれてないからでしょうか、とついつい自分を責めてしまうこともあります。但し、これはお店の店員さんなら、売り上げを上げる必要がありますから、当てはまりませんが、このように感じる私にとって、とても煩わしい現実です。

不登校の子供など、心が辛い子供が要求するのは、そういうことなんだろうなと、思います。要求を言ったよね?それだけを今叶えてほしい、とこどもは思っていると思います。というか、わたしがそうです。しかしそれ以上のことを求めていません。大人では必ずしも当てはまりませんが、子供の場合その大人が子供を信頼していないという意味になるのでしょう。

優しくされると、辛くなるという台詞は、大人か、かなり年が上のこどもの、セリフに聞こえます。こどもなら、優しくされたら、ホッとして泣き出したり、嫌だったことを吐き出すか、信頼関係があってなら、その後笑顔になっていくと思います。信頼関係が無いと、相手の下心を反射的に意識せざるを得なくなるのも自然かも知れません。子供にこのようなセリフを書かれたら、その子供の母親はへこむかもしれないけど、ちょっと、こどもっぽくない表現だなと、素直な子どもの心を表現していないと、単純に感じました。なんか、ドラマとか小説の中のセリフに感じました。