コメントにお答えします。

上記のメールをした者です。以前もメールにてお伝えしましたが…適応指導教室に関してはもう行かなくて良いと私から散々言い続けていました。
それでも私にバレぬよう、黙ってこっそり家を出て勝手に適室へ2回ほど通った…という経緯があります。その後も喜んだりせず「適室なんか行かないで家でのんびりしなさい」と言ってみたところ、その後は行かなくなった感じです。
もちろんその後も適室に行く行かないの話は一切せず…そこには干渉せず、夏休みのときと変わらず普段の会話は挨拶と雑談くらいで済ませていました。あとハグも忘れずにしていました。
私としては、避けられる理由が全く分からず晴天の霹靂です。この週末は学用品やランドセルも捨ててたりしていたのに…やはり私が土下座して謝るべきなのでしょうか?
自分が悪くないとは100%思ってるわけではないですが…学校や勉強、進路に関しては学校や適室から連絡が来ても子供には教えず避け続けてきたのに…それで私ばかり責められるのは、かなり辛いです。

<解説>

「母親を避ける息子」は、確かに頂いたメールをヒントに、そしてその一部を利用させて頂いて、不登校問題を子供の心の立場から考える人たちへ、適応指導教室の意味を子供の心の立場から考えて貰うために利用させて頂きました。ですから、「母親を避ける息子」についての話は、直接コメントを頂いた御母様と直接関係ありません。同じ適応指導教室でも、御母様の息子さんの場合は息子さんの挑戦の場所だったのに対して、「母親を避ける息子」の場合、子どもが母親によって適応指導教室へ押し出されていたか、子どもの知識に学校に行かれなければならない、適応指導教室に行かなくてはならないと言う強い知識があった子どもです。心が不登校状態で、登校刺激を受けていた子どもです。

御母様の息子さんの場合、適応指導教室に挑戦をしたと推測されますが、不登校の子供の場合、子ども発の意思で適応指導教室に挑戦しようとする子どもは、私の経験の範囲で居ません。今回が初めてです。では、何故御母様の息子さんが適応指導教室に挑戦したのかを考えてみる必要があります。それは不登校の子どもの心が元気になって、学校に戻ろうとする場合と共通点があると思います。御母様の息子さんは、何かの理由で学校に戻ろうとしないで、適応指導教室を挑戦の場所として選択しました。それは息子さん発の意思からの選択だったと私も判断して居ます。そしてそのまま適応指導教室が御母様の息子さんの心に沿っていたなら、御母様の息子さんはそのまま適応指導教室に行き続けられていたでしょう。けれど現実の適応指導教室は学校と、教室と、同じ機能を息子さんに及ぼしたのだと考えられます。

きっと、その適応指導教室に挑戦してみて、御母様の息子さんは不登校になったときと同じ経験をしたのでしょう。その結果御母様の息子さんの心にあったトラウマがまた反応をし始めたと推測されます。そして息子さん発の意思で適応指導教室に挑戦をして居ましたから、適応指導教室でのトラウマの反応は息子さんの意思でかなり弱められていたはずです。また、御母様が息子さんに適応指導教室からの逃げ道をしっかりと作って下さっていましたから、トラウマの反応が弱い内に息子さんは適応指導教室から逃げ出す、通わないようになったのだと思います。その結果御母様の息子さんは適応指導教室を直ぐに忘れることが出来たはずですから、トラウマの反応も直ぐになくなってきたはずです。

たまたま、何かの理由で御母様の息子さんは適応指導教室に挑戦して失敗しました。それは失敗でしたが、挫折という言葉で表現されるような物ではなく、息子さんなりの良い社会勉強をしたと考えられます。この経験が御母様の息子さんをかなり長い間学校に向かわせないと思います。次にどの方向に息子さんが挑戦を求めるのか分かりませんが、ゲームとかネットとか、多くの不登校のどもが楽しむ楽しみからもう一度やり直して、御母様の息子さんなりの心の成長をしてくれたらよいと私は思っています。但し、それを決めるのは御母様の息子さんです。そして御母様はその息子さんの心をしっかりと支えて下さっています。