発達障害、ある母親との会話

>辛さ、傷付きからの防衛反応が、こだわりとして現れているのでしょうか?
常識的な表現では、こう表現するのかも知れません。
心の構造からいうなら、人の感じる辛さを傷つきと言葉で表現するのだと思います。そして人の感じる辛さの外見の一つがこだわりという心の症状です。

>こだわりの強さと言えば、発達障害と言う意味になりますか?
上記の様に、心が辛いと言うことを、そのお子さんなりに体に、行動に、表現したという意味です。心が辛いと言うことの表現には、発達障害だけでなく、暴れたり、暴言を言ったり、泣いたり等、色々な表現があります。その表現の一つです。

お子さんの心の辛さを無視して、発達障害というレッテルを貼ってしまうと、お子さんの心の辛さからお子さんを守ろうとしないで、発達障害という症状を出しているお子さんの心の辛さの原因を無視して、大人が作った概念のレッテル、発達障害という概念からお子さんを見ることになります。それはお子さんの辛い心を無視することになります。

一方発達障害という心が辛いお子さんの表現を解決するには、お子さんを辛さから守り(辛さの原因はお子さんにより色々ですが)、お子さんなりの成長をさせると、この問題は解決します。但し時間がかかります。短時間に解決する方法はありません。 

>最近、身近に知られるようになった発達障害の概念が、安易に影響力をもって、間違った理解をされているのかも知れません。
上記の様に、発達障害というお子さんの症状は、お子さんの心が辛いと言う意味であり、お子さんの心が辛いと言うことの結果であり、お子さんの心の辛さの原因を解決しないと意味がありません。お子さんの発達障害の症状を解決出来ません。

>反応の仕方や、症状からみて、原因と結果を逆にして診断されたりしている事もあるのかも知れません。
それがおおっぴらにされています。ほんとうに悲しいことです。其れをしている大人達はその様にするのが当たり前と考えています。そこには根拠がないのです。自分たちでそうするのが良いと考えているだけです。

>だとしたら、そのお子さん達は不幸になってしまうリスクが高いのではないかと。
そうですね。お子さんの心を無視した、大人社会の考え方が、お子さんの心の辛さを無視しています。程度の差はありますが、心が辛いお子さんを増やす傾向になります。お子さんの精神疾患が増える傾向にあります。

>多様性と言われているのに、実際はお子さん達の世界の学校に、児童精神科の存在が現れ、権力をもって学校、地域で力を発揮しているような気がします。
そうですね。精神科医学という大人が考えた、お子さんの心の実際にそぐわないお子さん達の心についての考え方が、不幸なお子さん達を作ってきています。

>先生も何かあれば、すぐに専門家任せです。それを怖いなと感じるのです。
その通りですね。くさい物=都合が悪い物には蓋をして、大人の都合が良い社会を作ってきています。でもこのような心が辛いお子さんが出ても、社会は社会の体制に問題ないと考えているようです。それでもこのように心が辛いお子さんが増えてきていることを少しだけ気にし始めているようです。

>国は子ども達の障害者を増やしたいのでしょうか?
所謂専門家がお子さんの心を知らないので、分からないので、大人にとって都合が悪いお子さんを障害者として薬で押さえつけて、社会から隔離してしまっているようです。

>公の支援として、スタンダードになっている様々な支援が、障害者に認定、診断されないと受けられないのも何か腑に落ちません。
これは難しい判断ですね。心の辛さから守られなくて、心が辛い大人になって、社会に出て行けないお子さんを経済的に守るのには悪くないのですが、心が辛い大人を一人でも作らないという方がもっと大切だと思います。そのために大人は 「お子さんの心は大人の心と異なる」 ことをしっかりと社会で認識する必要があります。大人の心から、大人の知識から、子どもを見るのではなくて、子供の心に沿った対応を考えて上げる必要があります。

>肢体不自由な方や思い知的障害がある方は、もちろん特別に支援があって良いのだと思います。
その通りです。

>何でもかんでも障害にしてしまったら、世の中障害者だらけになってしまいます。
現在の日本ばかりでなく、欧米でもその傾向にあります。

>学校現場でも、法律的配慮を受けるために、何故か 障害を前提にしないと堂々と配慮を求められないような、、
そのためにも、母親自身が自分のお子さんを守るために、不登校にする必要があります。今の学校に、心が辛いお子さんを作ることは出来ても、守ることは、回復させることは出来ません。そのための知識を教育界や学校が持っていないからです。

>ずっと答えが出ず、悩んでいました。
遠慮無く質問をしてください。お子さんの心の立場からお答えします。

>私はもう少しシンプルに考えた方が良いのかも知れません。
ある意味で当たっていますが、もっと踏み込んだ言い方をすると、お子さんの心の立場から考えるという意味です。但しそれは一般の大人にはとても難しいことです。一般の大人はお子さんの心を知らないからでです。但し、母親だけはお子さんを信頼して待っていれば良いだけです。

>母親の私として、優しくて強い我が子が理想ですが、そのような子どもが育つ環境は、どこにあるのだろうと思います。
それはお母さまが作るのです。我が子を守るのは母親としての一番の喜びのはずです。具体的には、お母さまはお子さんを信頼して待っていれば良いだけです。しかし現実にお子さんを信頼し続けるという難しさがあります。お母さまといえども、母親より先に、一般の大人の常識が先行することが多いからです。