心が辛いとは に追加をします。

>こころが辛いのは、きっと、多くの人が想像する辛いとは、何か違うのではないかと感じています。
前回のMSGで申し上げましたように、私たちでは意識できない心の動き、情動が、心が辛い人の心の理解を難しくしています。

心が辛いとは、前回申し上げましたように辛さが繰り返すことで、その辛さを感じる程度が強くなっていきます。その程度は周囲の大人が理解できない程度の辛さになってしまいます。子どもが辛い原因が分からない、子どもが表現する辛さを周囲の大人が理解できない、理解できないから子どもを辛さの原因から守ることができない。大人が子どもの辛さの原因から子どもを守ることができないから、辛さがどんどん強くなり、子どもが死ぬほど辛くなり、荒れ狂い、心の病の症状を出し、それでもなんとしても子どもを守りたいという親が対応に苦労をすることになります。

その苦労の仕方も、子どもの辛いことを解決してあげようと、親として当然のこと、親としての優しさ、親の義務などと、考え方の出発点は何であっても、子どもが辛くなる原因を理解していない状態で対応をしたなら、子どもの辛さは解決できないばかりか、かえって子どもの辛くなる原因を子どもに与えてしまって、子どもをもっともっと辛くして、いわゆる専門機関に対応を相談したり、ゆだねたりすることになります。

このような親として当然な、常識的な考え方を捨てて、ただただ子どもが辛くならないように家の中に子どもを守ってあげるだけで、それだけでは未だ不十分で、ゲームやネット漫画、youtubeなど、子どもが没頭できることをすることを許してあげるなら、それだけで子どもの心の辛さは解決に向かっていきます。
本当に不思議なのですが、子ども自身が成長とともに社会に順応しようと、自分自身を輝かせようと、親の希望を叶えようと、動き出せるようになります。ただしその状態に子どもがなるまでに長い時間がかかる場合が多いので、親が待ちきれないという現実があります。

子どもの心が辛いと言うことは、子どもの心の成長、能力の成長を阻害します。それだけで無く場合によっては命を失うこともあります。母親なら、其れをなんとしても防がなくてはなりません。社会は、学校は学校生活が子どもの心を成長させると考えています。其れで良い子どもは其れで良いのですが、其れではかえって子どもの心の成長を阻害してしまう子どもが居る事実を、不登校の子どもを持つ親は理解する必要があります。自分の子どもを子どもの辛さから全力で守る必要があると気づく必要があります。

このような考え方は、常識と大きくかけ離れていて、ある意味で常識の逆で、常識の世界の一般社会や教育行政には理解できません。いくら社会に、学校に、政府に訴えても、常識で固まった大人には理解できません。不登校の子どもを持つ母親が理解して子どもを守る必要があります。