立ち止まって

>おかげさまで、自分の言動をいろいろ立ち止まって考えるきっかけになっています。
心が辛い息子さんの心を守るために、是非御願いします。

>例えば、昨夜でいえば、子どもが咳をしていたりすると、「大丈夫?早く暖かい服着なさい」とか、心配性のため、すぐに口に出してしまいます。でも、よく考えたら、言ったところで体調が変わるわけでもないです。
そうなのです。母親が自分の心配を言葉にすることで、母親自身の心配を軽減し安心感を得ようとしているだけなのです。その点に良く気づいて下さいました。

>ただ、子どもにとっては「うるさい」と気に障るだけです。
この瞬間、息子さんは咳をしていても、お母さまにどうにかしてと助けを求めていません。咳が辛かったら息子さんの方からお母さまに助けてと表現するはずです。場合によっては、お母さまに助けてと表現すると、息子さんが求めていないことをお母さまがする可能性があるので、息子さんの方から助けてと言えないのかも知れません。もしそうだとしたら、今までのお母さまの先周りの対応で、お母さまに息子さんが素直な自分の思いを伝えられないようにしてしまったのかもしれません。

>自己満足のために発言してしまっていること、まずはやめようと思いました。
その通りです。自己満足と書かれていることは、母親としての自己満足から息子さんへ先周りをした対応をして来たと言う意味です。
子供への先周りの対応は、大人の常識から言うなら、子供を思いやる優しい母親を表現していると考えられますが、心が辛い子供から言うなら、子供の心に沿わない母親の対応は迷惑なのです。でも心が元気な子供なら、このお母さまでも問題ないのですが。

>あとは、子どもの発言に耳を傾けるようになりました。いつもは聞き逃してしまっていることも、きちんと受け止めるようになりました。すると、子どもも話を続けるようになりました。
これは傾聴という意味ですね。母親と子供との間の信頼関係を強めるのに、とても大切なことです。ほんとうに有り難うございます。

>よく息子に言われていたのは、「お母さんは、聞いてもどうせ友達の名前覚えてないじゃん」ということでした。私が本当に興味を持って聞いていないことを見透かされていました。
常識的な母親像をお母さまが演じていたと言う意味でしょうね。息子さんの母親としての聴き方ではなかったという意味でしょう。
ただ、この息子さんの言葉の内容道理にしろという意味ではありません。友達の名前を敢えてお母さまは覚える必要がありません。この言葉は息子さんが求める聴き方をお母さまがしてくれないという意味であり、息子さんが求める聴き方、傾聴(母親が子供の心を時間制限なしに、母親からの意見を言わないで、笑顔で聞き続けてくれる)をして居なかったという意味です。母親が傾聴をしてくれる限り、子供は母親に子供の話を理解して解決してくれとは言わないのです。子供は自分の思いを母親に話したいだけなのです。

>息子は不登校のときから、辛いときは足の爪をむしってしまいます。
>気になってしまいますが、そのこと自体を注意するのではなく、そうなってしまう原因の方がなくなるまでは仕方ないと思うようになりました。
その通りです。その辛さとは登校刺激から来ていることが多いです。登校刺激から息子さんを守ると、息子さんはこのような行動をしなくなります。だからお母さまがその様に考えて、登校刺激を少しでも取り除く対応をしてくださると、息子さんは足の爪をむしるようなことをしなくなります。

>すぐ肩に力が入ってしまいがちな自分ですが、先生からの言葉を考えているうちに力が抜けるようになってきました。ありがとうございます。
それは息子さんにとってとても良いですね。息子さんのありのままをお母さまが認めることにより、息子さんの心を元気にします。これで、お母さまと息子さんとが素直な心で、自然態で、関わられる様になった、すてきな母子関係になったという意味だと思います。