正しいとは何か?

私たちは正しいと思うことを行い(多くは以前正しいと思ったことを、うまくいったことを習慣的に、何も考えなくて行動していますが)、間違ったことをしようとしない人が多いです。特に子育てについては、子供を一番良い状況下で、一番良い方法で育てようとするのは、母親として当然です。程度の差はありますが、その根底には母性が機能をしているからです。特に不登校の子供の母親なら、子供の心の辛さから子供を守り、元気な大人になって、社会的に自立して、社会に出て行って貰いたい物です。

このMSGでは、正しいとは何かを、あくまでも科学的に考えてみてみます。科学的にとは、ある条件下で100%同じ結果を得られるという意味です。今の科学技術では、100%同じ結果が出ないと、科学的に実用性がない、科学的と表現する意味が無いからです。しかし現実には100%同じ結果がでなくても実用的に問題ないから、その範囲で正しいと言う正しさがあります。それが統計(統計学は数学的に正しいです)的な正しさです。今の臨床医学がまさにそれです。工業製品でも人間の命に危険を伴わない限り、かなりばらつきがあって正しいから離れていても、正しいと表現することが出来ます。

統計的には95%が規定範囲に入っていれば、正しいと表現しています(これは統計の専門家が実用性という意味で決めたことです)。ですから、本来正しくても5%は統計的に間違っていると理解される可能性があります。ですから、ある事柄が正解と考えられることから5%以上異なることの範囲に入っていても95%の範囲に近ければ、かなり正しいとか、大分正しいとか表現することになります。これらは既に起きた事柄についての正しさの判断ですが、未だ起こっていないけれど起こる事柄で、これらの範囲に入ると考えられる場合には、正しいと考えられる、正しいと推測されるとかの表現になります。

医学は経験科学です。ある病態にある治療を行って(部分的には科学を利用して)患者がはっきりと元気になったという結果との間の統計的な結果から判断されます。それが精神医学(部分的にも科学を利用していません)や心理学(部分的にも科学を利用していません)になるとある病態の規定が大変に難しいし、その出た結果の病態の判断も大変に難しいです。そこに統計学を当てはめる難しさがあります。

不登校問題の正しさは心理学領域の正しさの範囲です。但し小児心理学には科学的な事実を用いることが出来ます。それは子供が持つ本能と、子供の心に生じたトラウマの反応です。子供が持つ本能は科学領域の進化論と同一ですし、子供の心に出来たトラウマは脳科学の理論そのものですから。ですから、この二つの観点からの議論は100%の正しさに到達できます。到達できないときには子供のこれらの機能を修飾する何かがあると考えられます。逆にこれらの100%正しさに到達できないときには、これらの子供の心の機能を修飾する物の存在を必要に応じて探す必要があります。