あるしつもん(1)

>いつも思いますが、どんな子にも決まった同じ対応、それも常識とはかなりかけ離れた対応を提唱されてますが、実際に子供一人ひとりを診て、診断されておられるんですか?

これは大人の心からの判断ですね。子どもの心は大人の心と異なるので、大人の心で子どもの心(多くの点で脳科学に従います)を判断すると、間違える場合があります。それでも心が元気な子供(嫌悪刺激に敏感に反応をする、換言すればトラウマを持っていない子供)には当てはまる場合が多いです。それは大人の判断が正しかったのではなくて、子供が大人の判断に、要求に合わせてくれたからです(よい子を演じると表現します)。

子供が大人の判断に合わせて行動をする場合、子どもの心は辛くなります(この脳科学的な説明は他日行います)。その辛さを母親で癒やされる限り、子供は心が元気な子供として、大人の判断に従い、大人の要求に合わせてくれます(よい子を演じ続けてくれます)。その経験は大人になって、同一の状況下になったとき、反射的に行動ができるようになります。子供の性格に組み込まれていきます。つまり、心が元気な子供は色々な大人の判断や要求に応えることで、その子供の色々な経験が子供自身の性格を発展させることができます。

心が元気な子供でも、大人の判断や要求に合わせて行動してその結果心が辛くなったとき、その辛さを母親によって癒やされないと、その辛さの分だけ子供は心の元気さを失ってしまいます。それが繰り返されることで、子供はだんだん心の元気さを失い、最終的に心が辛い(嫌悪刺激に敏感に反応をする、程度は色々ですが、心にトラウマを持っている)子供になってしまいます。ところがこの過程に気づく大人が少ないです。その結果現在では、心が辛い子供は増えてきています。

元来子供は心が元気です。それが大人との関わり(以前からは親や最近では学校、学校関連の物)でだんだん心を辛くしています。心を辛くするとは、脳科学的に恐怖の条件反射を学習することです。其れ以外はありません。それ故に恐怖の条件反射を消失させる対応が、心が辛い子供には必要なのです。この子供の恐怖のあり方から、恐怖の条件反射の消失方を考えるのですが、その恐怖の条件刺激が学校や学校関連の物のことが多いので、その恐怖の条件刺激から子供を守る対応が似てきます。

恐怖の条件反射を知らない人にとっては、その対応法が決まった同じ対応のように理解されるのだと思います。また、恐怖の条件反射自体が理解されていないので、恐怖の条件反射を無くする対応が常識とかけ離れていると感じられるのでしょう。実際にその通りなのです。今に恐怖脳条件反射が人々の間の共通観念になれば、その恐怖の条件反射を無くする対応はごく当たり前のことになり、かけ離れた対応を考えられなくなります。

心が辛い子供の存在に気づくためには、沢山の心が辛い子供を観察する必要がありました。勿論直に心が辛い子供を観察して居たときもありました。けれど心が辛い子供はその本能から母親以外の人に関わって欲しくないのです。その結果多くの場合、子供は母親以外の人の前で本心を出してくれません。今で言うよい子を演じる、昔は仮面をかぶると表現された行動をとるので、子供の本心を知ることができませんでした。それも多くの心が辛い子供を観察して気づきました。そして子供が持つ本能から、子供は母親の前で素直な自分を表現していることに気づきました。つまり、母親の目の前の子供の姿は本当の姿だと言うことです。母親が子供を責めていない限り、これは絶対的な事実です(このことを後ほど説明します)。母親が子供を責めたときには、子供は母親の前でもよい子を演じる、仮面をかぶる行動をするのです。