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世の中には、相当学校が好きで楽しいって子も沢山いるんですよ。
それに、幼稚園保育園のうちから、じっと座って先生の話を聞くのが苦にならない子の方が大半です。
余所の優秀なお子さんを穿った目で見たくなる気持ちは分かりますが、向こう側の人達から見ればただの僻みです。自分の子供の心配だけしていればいいのでは?と、そのお母様に言いたいですね。
また、発達障害の診断が下りたことで親子共々楽になった人もいます。色々です。
私は、正解は一つしかないような物の見方ほど危険なものはないと思います。

<解説>

最初に申し上げたいことは、大人の心と子供の心と異なります。ある意味で大きく異なるのですが、その事実を理解している人は殆ど居ないと言って良いと思います。ここでは大人の心の立場でなく、子供の心の立場から申し上げたいと思います。ただし、多くの人は子供の心の立場を知りません。それ故にここでのMSGは見当違いと感じられる人が多いと思います。

>世の中には、相当学校が好きで楽しいって子も沢山いるんですよ。
これは大人の心からの見方ですね。子供の心に沿っていません。

沢山ではなくて、学校で心が辛くならない限り、子供は全て学校が好きです。それは子供が持つ本能から来ています。もし子供が学校を好きでないという場合には(言葉でなく行動で示した場合)、その子供は学校で辛くなっている何かがあるという意味です。

ここで言われる沢山の意味は、その沢山に属さない子供がいるという意味でしょう。その沢山に属さない子供は、学校で辛くなる物があり、子供の学校に行きたいという本能が阻害されているという意味で、親は、その子供の周囲の大人(多くは先生)は、子供が辛くなる物を見つけて、それを取り除いて上げる必要があるという意味です。

別の見方をすると、このMSGを書かれた方は、その沢山に属さない子ども達の心に配慮していらっしゃらないという意味になります。不登校など、子供の心の問題を考えるとき、この沢山に属さない子ども達のことを真剣に配慮する必要があります。勿論この沢山に属さない子ども達が問題行動を起こし始めたときには、親や子供の周囲の大人は、どうしてこの子供はこのような問題行動をするようになったのか考え始めてもらえます。この沢山に属さない子ども達で、未だ問題行動を起こさない子ども達について、親や子供の周囲の大人は、その沢山に属さない子ども達の心を、大人の心の立場でなく、子供の心の立場に沿って、子供の心の立場から、子供の心を理解する必要があります。

そして沢山いる子ども達の内でも、学校生活をしている内に、学校が好きで無くなる子どもがある割合で出てきます。その子ども達への対応法も、沢山いる子供達への対応法が、経験的に、そして子供の心に沿った考え方が参考になるようです。