大人の心と子どもの心と異なるところ(2)

見方を変えると、子供は知識からの行動を見かけ上できるようになるには、知識を(母親から褒められるなどの)情動行動として繰り返し練習することで、その子供が繰り返し練習した知識からの行動ができるようになります。しかし練習をした特定の知識に関して、その繰り返し練習した知識に関する事柄を認識すると、その認識した知識から習慣化された行動を、習慣行動としての行動は無理なくできます。

大人が間違えやすいことがあります。それは、子供が学校などで知識を学習した場合、その知識を言葉にして、文章にして、表現できますが、時には大人顔負けの言葉にして表現できますが、その知識からの行動はそれなりの(情動行動という形で)練習をしないとできないという事実です。子供である限り、知識から子供なりに吟味できて、その結果を言葉で言えても、その結果から行動はできません。

けれど多くの大人は子供に言葉で教えた知識から、*「大人と同じように行動ができると考えて」*います。子供が大人と同じように、知識からの行動ができないと、「何故このような簡単なことができないの」と子供を叱ります。それは子供が悪いのではなくて、子供の心が大人の心と異なることを知らない大人に問題があります。

現在この事実に気づいてきている大人もいます。そして子供が幼い場合には、このような考え方をして子供への対応を考えてくれる大人もいます。しかし子供が思春期ぐらいになると、体も大人並みになりますし、その行動や言葉も大人と同じように使います。

多くの大人はその段階の子供を、大人と同じだと考えて、大人も思春期付近の子供を、既に大人の心が機能をしている大人としての扱いをします。しかし心は子供の見かけと異なって、まだ子供の心の機能なのです。その結果思春期の子供の扱いが難しいという大人が多いようです。思春期の子供に問題行動が多くなる理由の一つです。