大人の心と子供の心と違うところ(3)

前回、子供は子供の持っている知識から行動ができないことを申し上げました。

大人が間違えやすいことがあります。子供が学校などで知識の処理法を繰り返し学習した場合、子供はその処理をした知識を言葉にして、文章にして、表現できます。それ故に子供は大人と同じように色々と考えることができると大人は判断をします。それは子供が考えているのではなくて、学習して身につけた言葉の使い方を実行しただけです。それ自体は心が元気な子供ではとても好ましいことですが、心が辛い子供ではよい子を演じなくてはならなくて、より心を辛くします。

しかしその様な子供(特に心が辛い子供では)でもその時得た情報から、子供の本心でなく、既に学習した常識に即した行動の仕方を反射的に行うか、その時生じた感情に反して、相手の大人の思いに即した行動の仕方を反射的にします。つまり子どもの心を辛くする相手から逃れるために、既に身につけた子供の性格(辛さからの回避法に関する性格であり、子供の本心からの性格ではありません)から反射的に行動をします(その意味では、この時の子供は二重人格です)。

子供は大人のような思考を伴った行動の仕方をしません。ところが一部の子供によっては、その時まで自分を守るために練習した考え方を用いて、その時得た情報からの考え方の結果を、それも大人と同じような考え方の結果を、言葉にできます。但し大人との大きな違いは、その考え方からの行動にできません。言葉ではよい子を演じても、行動でよい子を演じるのは難しいようです。

元来子供はその時に持っている子供の性格から反応をして行動をします。大人のように色々と思考を巡らすことは殆どありません。子供がその時持つ子供の性格から行動できないとき、つまり大人の力で子供が持つ性格から行動できないようにされているとき、多くの子供は大人に向かって荒れるか問題行動をします。それが出来ない子供は、過去の経験から大人の希望する考え方を言葉にして(所謂よい子を演じて)、その場をやり過ごそうとします。