教師と話して 1

教師と話していつも感じるのですが、学校は子供が大人になるのに絶対に必要な物だと信じ込んでいます。教師には子供が学校に行かないで成長をすることを考えられないようです。子供が学校に行かないのは、親から学校に行かないようにと虐待を受けていると考えているようです。それは、一生懸命子供のことを考えて、成績を伸ばしてあげようとしている先生には、当然のことかも知れません。子供の方でも本能的に学校に行きたがるのですから。

このような背景がある教師には、子供が学校に来ない、つまり不登校になるのは、子供が学校に来られ無い何かの理由が家庭内にあると考えてしまうようです。教師自身が子どもを学校に来られないようにしていると言う事実を、理解できないし、理解しようともしないのです。確かに教師が子どもを学校に来られなくしていると考えると、教師という職業が出来なくなる可能性が高いですから。

昔の日本では、教師は尊敬されていました。子供に何かあったら、子供が悪いで済まされていました。昔は中学校を卒業しさえすれば良かったのです。当時の家庭には子供が5,6名いました。親も子供に中学校を卒業させて、就職してくれれば良かったので、子供の教育にそれほど配慮をしていませんでした。子供が学校をずる休みしても、子供を叱る程度でそれ以上のことをしなかったようです。

今の親は高等教育を受けています。経済的にも豊かです。子供も1人か2人です。子供の教育に熱心です。その結果、子供は学校内で管理され、家に帰っても管理されて、子供としての自然態で生活が出来ません。多くの子供が今の学校制度に苦痛を感じています。その苦痛を家庭で癒やされることが無くなりました。学校からの苦痛は子供をとても苦しめます。家庭内での苦痛は母親という存在で軽減されます。それは子供が学校での苦痛が相乗効果を起こす原因になっています。この事実を教師は気づいていないのです。

教師は色々と工夫をして子供と向かい合っています。その向かい合っている子供に昔と異なって、多様性があるのです。教師の工夫に答えてどんどん成績を伸ばす子供にはスポットが当たりますが、教師の工夫に答えられない子供は、ある意味で見捨てられたような状態になります(昔はそれでも中学校を終えて就職すれば問題なかったのです)。但しこれが不登校の原因になるのではありません。

多様性がある子ども達2

多様性がある子供が増える理由として、子供の成長過程を考える必要があります。子供はその性格から反応をして成長をしています。子供の性格とは、その時持っていた情動と、その時持っていた習慣です。大人のように理性的に思考をして行動することは、子供には出来ません。多くの大人が間違えるのはこの点です。知識や思考は言葉になりますが、行動になりません。言葉通りの行動が出来るときとは、その子供に報償(母親の喜びが多い)か罰が加わっています。

子供の性格の基本、子供が持つ本能を考えることで、多様性がある子ども達が増える理由が分かります。子供が持つ本能とは
母親を大好きだ
同年代の子供を求める
新しい物を求める
与えられた環境に順応しようとする
の四つだけを考えるので十分です。

子供にとって母親は絶対です(母親がいないときは代理母)。ですから基本的には母親が喜ぶような行動をします。母親の子育てを基本的に素直に受け入れます(母親の子育てが子供にとって辛いときには、母親に辛いよと言うサインを必ず出します。)
子供社会の経験を子供は率先して求めます。子供社会のあり方は社会的なあり方の影響を受けて、年々変わっていきます。そこで子供のあり方も、親や大人が子ども時代のあり方と大きく変わっています。そのありかたも、社会的な豊かさのために、色々と変化に富んでいますから、そのあり方の中で成長をしている子供の性格も、子供によって大きく異なっています。

時代によっても異なりますが、昭和30年ぐらいまでの日本は子供から見たら、未だ豊かな世界ではありませんでした。それでも明治や江戸などの時代よりは遙かに豊か買ったかも知れませんが、今の豊かさと比較になりません。親も子供も生きていくので精一杯、少しでも学歴をとって、少しでも良い収入を得るという事実は子ども達も身をもって感じていました。そのためには、子供社会での不合理も無視できたのです。

この良い例が今のロシアの貧しい地方の若者達のようです。

豊かになると多様性のある子供が増える

現在の世の中が物質的に豊かになると、其れも急激な豊かさが1)子供達に多様性が広がっていきます。その結果、2)今の学校のあり方で辛くなる子供が増えてきます。逆に今の学校のあり方で3)成績を伸ばす子供も増えてきて良さそうなのですが、実際はそうでもなさそうです。

根拠はないのですがこの現象を私なりに述べてみます。
1)について、子供達はそれ以前の子供達より多くの物質的な経験をすることになります。例えばゲームとかネットです。これ自体で其れがない時代の子供では経験しなかった物質的に豊かな時代の子供達は経験をし始めます。その代わりにそれがない時代の子供が経験したようなことを経験しなくなります。

2)について、今の学校は昔の物質的に貧しかった時代の学校のあり方を、概ねそのまま受け継いでいます。時代の変化で学校のあり方が子供の心に沿おうとする対応も見られていますが、それよりも学校が学校であるための対応が優先しています。学校があって、その学校のための子ども達のようになっています。つまり子ども達への学校側からの管理がとても厳しくなっていて、その学校からの管理で子供の心が辛くなり、その心が辛くなった子ども達が学校内で、学校から見たら問題行動をしてしまい、その結果ますます学校からの管理が厳しくなっています。

3)について、子供の多様性の結果、今の学校でどんどん能力を伸ばす子供もいますが、一方で今の学校のあり方で辛くなる子供の割合も大きくなっています。現実の学校のあり方は、子ども達が見かけ上何も無く学校を卒業してくれることです。後は親やそれ以後の学校にお任せとなっています。ところが親は学校にお任せですから、一番被害を被るのは子ども達のようです。

ところが子ども達は何故学校が辛いのか言葉に出来ないことが多いです。言葉にしても学校から、親から無視をされて、学校生活を送っています。その結果の破綻が不登校と言うことになると思います。破綻はしなくても、無気力な子供が多くなり、子ども達から自主的に出来ることはゲームやネットなど、楽しいことに逃げるしか無いのです。

 

4月を迎える

小4娘がいます。この4月から5年生になりますが、とても学校に行かれそうもありません。きょねんの4月も、娘が学校に行かないので、学校への対応に、同級生への対応に悩みました。今年も悩まなくてはなりません。
最近の娘は部屋に閉じこもり、食事も部屋の中でして居ます。母親の私を避けています。部屋の中でゲームをしているようですが、全く分かりません。どうしたら良いか分からなくて、泣けてきます。

<解説>

>小4娘がいます。この4月から5年生になりますが、とても学校に行かれそうもありません。きょねんの4月も、娘が学校に行かないので、学校への対応に、同級生への対応に悩みました。今年も悩まなくてはなりません。
御母様は辛いですね。特に4月を迎えるときは、新学年への対応で、御母様は辛いと思います。そしてお嬢さんも新学年になるのに、学校に行かれない自分を意識すると、とても辛くなります。御母様の辛さの比になりません。きっと御母様を苦しめていると感じて、その分も余計に辛くなっているはずです。ですから御母様も苦しんでいることがお嬢さんに伝わらない方が良いです。

御母様がお嬢さんの不登校を受け入れられるようになるまで、御母様の方からお嬢さんに近づかない方が良いと思います。4月になっても、今のまま時間の経過を待って下さい。但し、学校への対応があるので、それも御母様を苦しめると思います。そのために御母様も辛いと思いますが、今以上にお嬢さんを辛くさせないために、お嬢さんが気づかないようにして、学校への対応をしてください。

>最近の娘は部屋に閉じこもり、食事も部屋の中でして居ます。母親の私を避けています。
御母様の対応がお嬢さんを辛くしている可能性がありませんか?もしないようだと、御母様が辛そうにして居る姿で、お嬢さんは自己否定を起こしている可能性があります。今は全て自分の部屋の中で過ごさせてあげて、岡様を意識しなで住むように御願いします。

>部屋の中でゲームをしているようですが、全く分かりません。
お嬢さんが部屋の中で荒れていないなら、お嬢さんはお嬢さんなりに辛さを耐えています。その辛さへの耐え方がゲームを使っているのなら、好ましいぐらいです。御母様のお嬢さんへの理解がお嬢さんの心に沿うようになるまで、この姿が続くので良いと思います。

>どうしたら良いか分からなくて、泣けてきます。
辛いですね。お嬢さんが気づかないところで泣いてください。

中学校より不登校

ある母親からのMSGです。
中学でぱったり行けなくなる子供って多いようですね。小学校で限界まで行ってた子供ですよね。あるお子さんのことですが、小学校6年生を頑張っていき続けました。卒業式に参加したようです。中学生になって頑張って行くでしょうか?
今のように、親が休ませながらだったら行くでしょうか。そのお子さんはきっと辛いと思います。

<解説>

>中学でぱったり行けなくなる子供って多いようですね。
中学進学を契機に不登校になる子供の相談を受けることがあります。果たして多いのかどうか、相談の数の上では分かりません。でも少なくないことは間違いないと思います。その理由として、中学校になると、先生方の子供への配慮が不十分になります。小学校以上に学校側からの締め付けが強くなります。それに加えて、学校が変わると言うこと自体が子供にとって心の負担になります。これを新奇刺激と言って、情動の回避系になります。

>小学校で限界まで行ってた子供ですよね。
小学校で限界だったと言うことなら、この新奇刺激だけでも限界以上の心の辛さになってしまいます。

>あるお子さんのことですが、小学校6年生を頑張っていき続けました。卒業式に参加したようです。
小学6年生を頑張っていったと言うことは、お子さんの意思から努力していったのではないと思います。お子さんは母親から学校へ行かされていたのだと思います。もしそうだとしたら、お子さんの学校への反応はかなり強まっているはずです。

それでも学校に行っていたのなら、その分学校への反応が弱かった可能性
学校への反応が強くても、母親が学校に押す力が大きくて、子供はやっとの思いで学校に行き続けていたので、それ以上無理が利かない状態なのかも知れません。

>中学生になって頑張って行くでしょうか?
一端休みだしたら、それ以後学校に行かなくなると思います。それでも小学校の時と同じように子供を学校に行かせようとすると、今度は母親に向かって荒れ出すと思います。

>今のように、親が休ませながらだったら行くでしょうか。
小学校ならそれが可能だったお子さんです。小学校でも多くのこのような子供は、完全な不登校に夏場合が多いです。中学校ならまず五月雨登校は無理だと思います。

>そのお子さんはきっと辛いと思います。
辛いと言う言葉以上に死ぬ思いを重ねていたはずです。子供で原因不明の自殺をした場合は、このような子ども達では無かったかと推測しています。

中学校へ

12歳の女の子です。学校には五月雨登校をしています。学校に行ったときは特別教室で過ごしています。

女の子の家の近くに女の子の叔母が住んでいます。その叔母が女の子の話を良く聞いてくれているようです。その叔母の家で、女の子はお菓子食べながらずっと叔母に話しているようです。

その叔母が女の子の母親に「制服も作るの?中学校が新奇刺激になりいけないのではないかと思うよ」と伝えたそうです。母親はなんとしても女の子を中学校に行かせたいようでした。

<解説>

>学校には五月雨登校をしています。学校に行ったときは特別教室で過ごしています。
この女の子の場合、不登校分類2か不登校分類3か断定しにくいです。今までの経過から言って不登校分類3だと思われます。特別教室に行く場合には、不登校分類3の場合が多いです。その場合では、女の子は学校の辛さを耐えて、特別教室に行っているという意味です。本当は特別教室にすら行きたくないはずです。その学校での辛さを次の叔母の対応でかなりの部分解消出来ているようです。

>女の子の家の近くに女の子の叔母が住んでいます。その叔母が女の子の話を良く聞いてくれているようです。その叔母の家で、女の子はお菓子食べながらずっと叔母に話しているようです。
この叔母の対応が、女の子の心は不登校でも学校に行かれている理由だと思われます。女の子の訴えを、叔母が無条件で聞き続けて、女の子の心にほっとする時間、安心感を持たせてあげる叔母の対応が、不登校分類3でも女の子が学校に行かれる理由だと考えられます。現時点で女の子の心は不登校ですが、その程度が不登校の割には軽度に維持できている理由だと考えられます。

>その叔母が女の子の母親に「制服も作るの?中学校が新奇刺激になりいけないのではないかと思うよ」と伝えたそうです。母親はなんとしても女の子を中学校に行かせたいようでした。
中学校は、小学校以上に管理が厳しいです。授業も先生からの一方的になります。女の子が登校しても特別教室のような居場所は無いかも知れません。それに叔母が言っているように、女の子が慣れ親しんでいない場所は、女の子にとって恐怖と働きます。これらを総合すると、女の子は五月雨登校でも無理だと、叔母が判断したのでしょう。きっと母親はその意味も理解していないし、女の子を学校に行かせたいという一心なのでしょう。

養育援助

昨日の検討会で、第三子以降の子供への、政府からの養育費の援助の話が出ました。子供の数を増やすための政府の政策だそうです。女性の職場進出の結果、子育てが難しくなっていることへの援助という話でした。経済的な援助をすることで、子供の数を増やそうとする政策の様です。でもそこには女性が複数の子供を産み育てようとする意欲を生じるかどうかの問題が、経済的な面と夫の協力を得る点でだけしか考えられていないようです。

子供の立場から言うなら、保育園、幼稚園、学校から帰った家庭に笑顔の母親が欲しいのは、子供の本能です。父親でもある程度代役が聞くようですが、最終的には母親です。子供が肌で母親を感じ、母親に思いを訴えて聞いてもらい、そこで安心して眠ると、翌日元気でいられるのです。

現実に朝ご飯など、食事が出来ていない子供の存在が報道されています。それは経済的に朝食を取れないという意味の他に、母親との触れ合いがないと言う意味もあるのでは無いかと、推測しています。貧しい食事でも、母親と分け合ってとった食事に子供は大きな喜びを持ちます。行政からの援助、社会からの援助で、経済的に補助が出来ますが、母親との触れ合いは、母親に代わる補助はありません。それでも代理母という形での補助は可能でしょうが、それはお金の問題ではありません。