「引きこもり」支援者に根強い“引き出せばいい”という錯覚の罪 22

>1)これらの大人の心のエネルギー、しっかりと意思を出させる能力の度合い
>2)受け入れる社会がどれだけこれらの大人を受け入れる寛容さがある度合い

子どもの行動は習慣行動と情動行動です。子どもも言葉を発しますが、その言葉通りに行動をすることは出来ないか、大変に難しいです。子どもが言葉通りに行動したときには、一見意思からの行動のように見えますが、実際は情動行動です。多くは親からの褒賞を受けるか、親からの罰を避けるための行動です。

大人は意識で情動を調節して、意識からの行動をします。意識とは未だ正確な定義は出来ませんが、少なくとも言葉に出来る知識から、自分の感覚や行動を言葉にする場合です。その意識から行動をするとき、その意識=知識を意思と表現できます。大人の意思とは、その人の知識から行動をするときのその知識を言います。

不登校から引きこもり、ニート、フリーターの大人は、普通の大人のように意識で自分の情動を調節して、情動行動を押さえて、意識行動だけをするようになっていません。それ故にこのような大人の行動には、情動行動と意識行動と両方が混在しています。そして他人の前では、情動行動もあたかも意識行動のように行動をします。ですから周囲の人から見て、その大人の人が意識行動をしていると判断されるような行動が、1)の行動に相当します。

1)の行動は心のエネルギーがマイナスだと出来ない行動だからです。1)の行動が出来ると言う事は、心のエネルギーがその行動ができる時はプラス二なっているのです。1)の行動をしないときは、必ずしも心のエネルギーがプラス二なっているとは限りません。1)の行動が出来るときが多ければ多いほど、心のエネルギーがプラス二なっているときが多いと意味になります。

端的に言うなら、このような大人が1)の意思を出すとは、他の大人が意識行動だと理解できるような行動をする、出来るようにすることです。