バカ母さん 1

<症例>

五月雨登校(週一回ぐらいの登校)の中学生の息子が居ます。母親は学校に行かせない対応をとっていますが、息子の方で勝手に学校に行ってしまう日があります。
母親は息子とたくさんスキンシップをとり、バカ母さんになりきり切っています。息子は「お母さん、バカだ」「お母さん、大人なのに恥ずかしくないの?」「お母さん、大丈夫?」等々言います。すると私も冗談で「しょぼん」と、ショボくれると「お母さん、大好き!」と言ってくるので「本当に!?」と目を輝かすと「お母さん、大好き」と言います。
すぐ最近までとても荒れていた息子ですが、今はゲームに夢中で、家の中に平和が再来しました。

>五月雨登校(週一回ぐらいの登校)の中学生の息子が居ます。
常識から言うなら、五月雨登校自体が親の子育て上問題とされるでしょう。学校に行けないこと自体が子どもとして好ましくないこと、親の子育てに問題があると考えられます。以前の常識は何が何でも子どもを学校に行かせる物だとなっていました。少なくとも学校側はその様に対応をします。

所がこの男の子は小学校の途中からずっと学校に行けなかったのです。それが最近になって思い出したように学校に行くようになっています。以前の学校側は、子供が学校に来られるのだから無理をしてでも子どもを学校に連れてくるべきだと言っていました。最近の学校側は、週一回の登校を週二回の登校になるように努力しましょうというような発想をするようになっています。

>母親は学校に行かせない対応をとっています
はじめ、母親はこの常識的な発想、学校側の発想を持っていました。子どもを何とかして学校に行かせようとして、子どもが荒れたり、母親を拒否したりして、家庭内がめちゃくちゃになり、母親自身もとても辛い思いを経験しました。

常識的だった母親は子どもが問題だ、子どもが病気だと考えて、子どもを相談機関に連れて行く、子どもを病院に連れて行く等しました。それをすればするほど子どもの状態がおかしくなりました。常識なら未だ子どもへの対応が不十分だ、子どもへの治療が不十分だという考えになります。対応になります。殆ど全ての不登校の子ども達はこの対応を受けています。

子どものためにと母親も一生懸命この対応をし続けていました。所が母親は気づいたのです。問題があると考えられる子どもが問題ではなくて、母親として当然なこととして対応をしている母親に問題があるのではないかと考えてみたのです。

なぜ苦しがっている子どもをますます苦しませる学校に行かせるのが良いのか、学校に行かないけれど自然と育つ子どもの方が良いのかという問題に気づいたのです。子どもの笑顔を見たい、子どもの生き生きとした姿を見たい、辛そうにしている子供を何とかして守りたいという、母親独特の感情が湧いてきたのです。常識的な人には思いもつかないことです。そこで母親は思い切って学校に行かさないことにしたのでした。

本当に学校に行かなかったら子どもに将来はないの?生きていくだけだったら学校に行かなくてもいいんじゃあないか。将来ばかりを考えて今目の前の、母親の大切な子どもを殺してしまうより、今目の前の子どもを大切にして、子どもの将来は子どもに任せようと考えたのです。子どもの将来を心配して今を不安になっているより、目の前の子どもを大切にして楽しく子育てをしてはいけないのかと感じたのです。そこで母親は子どもを学校に行かせないことにしたのです。