息子は自己否定ばかり 2

不登校引きこもりの子どもを見て、母親が落ち込んでいる姿とその子どもが共感している母親の姿となぜ理解しないのかの問題を考えて見ました。

不登校引きこもりの子どもの落ち込んでいる姿を見て母親が辛くなる場合、辛くなった母親は子どもを見たときでも、見終わった後でも、絶えず辛さを表現しています。つまりこの子どもが嫌悪刺激でその嫌悪刺激からの回避行動として辛さを表現しています。其れが前回の話しです。

共感とは、不登校引きこもりの子どもが辛さを訴えたとき、その辛い話をしたときに、その話の内容を嫌悪刺激として、その訴えや話の内容に対して回避行動、辛さを表現しています。辛い訴えや話しが終わると、母親は辛さを表現しなくなります。今までの母親に戻ります。その結果子どもは母親が自分の訴えや話しを理解したと理解します。

この違いから、不登校引きこもりで落ち込んでいる子どもの姿を見て、母親が落ち込んでいる姿を、この子どもは共感だと、自分を理解していると判断しません。それどころが前回で示したように、自分が母親を苦しめている、自分が母親にとって好ましくない子どもだと理解します。その結果自己否定になってしまいます。