きほんに戻って 11天国

天国とは楽しさばかりがあり、嫌悪刺激がない国と描かれているようです。もちろんその様な国は地球上にありません。では天国が人間に可能かどうか、人間の脳に基づいて考えて見ます。

全ての動物は情動で生命を維持しています。人間だけは情動と知識=意識と両方で生きています。動物に共通な情動には、接近系と、回避系しかありません。情動が反応をしないものは、人間にとってないのと同じです。只、知識から、情動が反応をしない物を知ることは出来ます。それをしったときには、情動が程度の差はあっても反応をするようです。

情動には接近系と回避系があります。天国では接近系ばかりで回避系がないとイメージされています。以前から回避系には相乗作用があることを申し上げてきました。接近系には慣れがあります。連続する接近系は後からの接近系の効果を減弱させます。そして最終的に慣れを生じて、接近系だったことが当たり前になってしまいます。報道的には無反応、ないのと同じになります。

人間が描いてきた天国とは、喜びがある、楽しさがある、辛さがないとなっていますが、喜びや楽しさがあるのは、人間が天国に行った初めの内だけでやがて無反応の世界になってしまいます。情動が無反応の世界を想像できませんが、その世界は決して楽しくありません。人間には否定という回避系があります。無反応の世界とは、人間にとって否定と反応をしてしまう可能性すらあります。否定と感じた後には、無反応であった物が接近系に戻る可能性がありますから、その時は楽しさと言うより、安堵感と表現される瞬間になると思います。そしてその後叉安堵感の後に無反応の世界に戻ってしまうのではないかと思われます。

ここで問題は接近系の繰り返しで無反応になった物が、回避系の存在で元の接近系に戻るかどうかの問題です。きっと戻るのではないかと思います。とはいえ上記の話しは頭の体操で有り、現実に近いことはあっても、存在しません。それ故に考える必要がないことなのでしょう。