大人の引きこもり 9

大人の引きこもりでも、家の中にその大人の心のエネルギーを浪費するもの、つまり嫌悪刺激=その大人にとって辛いもの=多くの場合、それは結果的にその大人を否定するもの、がないと、その大人の心のエネルギーは増加して家の中でいわゆる普通の生活(誰が見ても当たり前と考えられる生活)ができるようになります。家の外にその大人にとって嫌悪刺激があると、その大人は家の外に出て行こうとしません。それでも、その大人の欲求が大きいもの、喜びが家の外にあると、家の外に出て行けます。

大人の場合、その欲求、喜びとは、家の中での楽しさの延長上にあります。家の中で楽しめていたことの延長上のものが家の外にある場合には、家の外に出て行けます。その楽しさの程度によって、たまに家から出て行くとか、頻繁に出て行くとかになります。ただし、その他の示唆とはその人の範囲での楽しさですから、それが就労に結びつくことはありません。もちろんその楽しさを求めることで、収入を得られるなら、その楽しさ自体が就労になります。つまり家の中に引きこもっていても、徹底的にその人の楽しさを追求することで、就労をしないが家の外で、社会で生活ができるようになります。時には就労に結びつくことにもなります。

ここで就労のもつ問題点を考えてみます。上記のようにその人の楽しさ自体が就労になる場合はそれで良いのですが、多くの場合就労することは、お金を稼ぐことです。稼ぐお金で評価されます。お金の稼ぎがその人の評価になると、お金を稼げる人はそのままのその人の姿で許可されます。お金を稼げない人は評価されないばかりか、否定をされてしまいます。そのお金を稼げないことからの否定に耐えられない人はその就労を続けることができません。

最終的にお金を稼ぐことにつながるのですが、就労するにはある組織に加わる必要があります。その組織には人間関係があります。その人間関係で否定されてしまう場合が多いのです。その人間関係を作っている人たちの間では、否定でなくても、その人間関係に加わった人にとって否定と感じてしまう場合があります。とくにそれまで否定で苦しんでいた人にとって、些細な否定がとても強い否定と感じていますのです。つまり、就労という社会のあり方、組織では、引きこもりの時にはない、お金での評価、他人との人間関係での評価、という引きこもりだけでは得られない別の要素があります。

この評価について、次回お話しします。