大人の引きこもり 14

例えとして、心が元気な大人が歩いている道が、分岐路になっていることを考えてください。
右に行けばお金を親に頼るけれど、今まで通りに楽しい生活が出来ます。
左に行けば大きな障害がありますが、その向こうにやはり楽しい生活と、金銭的な自立があります。
多くの大人は保守的ですから、現状維持ですから、そして障害で苦しみたくないので、右の道を選択します。然し親は、社会は、左の道を行って欲しいのです。

左の道、障害を乗り越えてその先になぜ行こうとしないのかを考えてあげる必要があります。もちろんその障害の大きさとその先にある楽しい生活、金銭的な自立の程度によっても異なりますが、ここでは考えやすいように、それらのことを配慮しません。

多くの引きこもりの大人は挑戦する経験をしていません。障害を乗り越えて、自分の目的を達成した喜び、成功体験を知りません(げーむのなかで知っていますが、多くの場合すぐに役立ちません。その経験の積み重ねが挑戦に繋がる場合もあります)。障害(ゲームの中の障害を除いて)に挑戦しようとする意思すら持っていません。楽しい方へ楽しい方へ、つまり障害がない方へと向かって生活をしています。上記の分岐路の右の方です。そして親が周囲がその大人に左側の障害に向かわせると、その障害で跳ね返されて、かえって元気を失い、荒れたり問題行動をしたり、叉自分の家に、部屋に、引きこもってしまいます。

その事実を経験で知っているから、引きこもりの大人に対して親は何もしないのです。その大人のために何もしないのでは無くて、今以上に悪くしないために、何もしないのです。右に行く道を遮断したことで親自体が苦しんだ経験があるからです。そこで引きこもりの大人が変わってくる、自分から左の道に向かうのを待っているのです。然し大人は変化を好みません。上記の分岐路の右の方の道、安易で楽しい道を進みますから、いつまで経っても、就労をしません。