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不登校の子どもは、学校に行きたく無い訳ではなくて、行きたいけど行かれないのですよね。子どもの本能から、学校には行きたいのですよね。でも実際には行けないから葛藤があり、不登校を認められ家に居て欲しいものを買い与えられても心の辛さが晴れずに苦しくて暴れたりするのですよね。場合によっては何年も。
学校に本当に行きたくないのであれば、不登校後は精神的に安定すると思うのですが、多くの不登校児童は不登校後も自室にこもったり反抗、我儘、暴れたり自傷行為に走ったり。
これは、学校から離れて嬉しく楽になった訳ではなく、本当は行きたい学校に行かれない辛さですよね。

不登校の子どもは、学校に行きたく無い訳ではなくて、行きたいけど行かれないのですよね。子どもの本能から、学校には行きたいのですよね。
ここまでは子どもの心に沿っています。

>でも実際には行けないから葛藤があり
確かに葛藤を生じますが、不登校の子供にはそれ以上に辛い事、死ぬほど辛い事が生じています。それは 学校に反応をして子供を辛くするトラウマ(=fecor)がある事です。このために子供は学校を見たり、意識しただけで、死ぬほど辛くなるのです。このために、子供は学校に行かないで、家の中に逃げてきています。

そのトラウマからの辛さは葛藤から生じる面より遙かに大きくて、学校に行かれない葛藤からの辛さを無視できる程度です。このトラウマに気づかない限り不登校問題を解決できません。そして多くの方はこのとらうまの存在を知りません。子供もそのとらうまの存在を知りません。 「不登校の子供は学校を見たり意識しただけで(このトラウマが反応をして)体の奥底から辛いものがわき上がってきて、とても生きた心地がしない」 のです。

不登校を認められ家に居て欲しいものを買い与えられても心の辛さが晴れずに
不登校を認められるという意味は、不登校の子供が学校を忘れて家にいられるという意味です。学校を忘れられない限り、不登校を認められたとは言えません。家という安全地帯に不登校の子供は逃げて、言葉にならない行動や症状で、親に助けを求めます。
所が多くの親は、このとらうまの存在自体を知りません。また子供が言葉にならない行動や症状で学校が辛いと訴えても、これが学校が辛いと子供が訴えているとは理解しないで、この子供が示す行動や症状自体が問題だとして、この行動や症状をなくそうとします。子供が学校の辛さを訴えてはいけないと言う意味に、子供は無意識に理解します。その結果ますます問題行動や問題症状を強めてしまいます。
ここで言われる欲しい物を買い与えるという親の対応は、子供の問題行動を認めるという点で子どもの心に沿っていますから、子供を少しだけ、一時的に楽にしますが、学校が辛いと言う不登校の子供の問題点とはずれていますから、すぐに意味を持たなくなります。子どもの心が晴れるためには、家の中で子供が学校から守られる必要があります。家の中で子供が学校を忘れて過ごせなくてはなりません。

>苦しくて暴れたりするのですよね。場合によっては何年も。
上記の様に苦しくて暴れるのはトラウマのためです。トラウマが反応する限り、子供の苦しさ、荒れはいつまでも続きます。特に子供が荒れる場合に、トラウマに気づかない親は耐えきれなくて警察などの外力を使う場合と子供を放棄してしまう場合とがあります。

>学校に本当に行きたくないのであれば、不登校後は精神的に安定すると思うのです
トラウマが反応をする限りそれは不可能です。トラウマが反応をしないとこの通りになります。

>多くの不登校児童は不登校後も自室にこもったり反抗、我儘、暴れたり自傷行為に走ったり。これは、学校から離れて嬉しく楽になった訳ではなく
家の中に引きこもるとは、物理的に学校から離れることが出来ますが、子どもの心が学校を思い出すと、トラウマが反応をしてしまいます。その結果毛の中が楽になっていないのです。

>本当は行きたい学校に行かれない辛さですよね。
前記のように其れも無いわけでは無いですが、その辛さはトラウマの反応からの辛さと比較すると無視できる程度です。つまり
トラウマの反応から生じる辛さ+学校に行きたいのに行かれない辛さ=子供が感じて居る辛さ
となりますが、トラウマの反応から生じる辛さだけを考えておけば良いと言う意味になります。
そして、安心して学校を忘れて引きこもられたら、学校に行きたいのに行かれない辛さだけが辛さとして残ります。