子どもの心、大人の心

心を理解するには、脳の構造を考える必要があります。
大脳には、新皮質と旧皮質(新皮質に覆われている。生命に直結する)とがあります。今まで分かっていることは、旧皮質は幼児期には完成していて、そこにある情報もほぼできあがっています。それ故に小児期になって旧皮質の脳の情報を変えるには、条件反射を使うしか方法が内容です。それに対して新皮質はMRIなどの検査から思春期以後にならないと大人の新皮質にならないようです。他だし、例外的に、言葉の領域の大脳新皮質は幼児期に、早期に完成するようです。また新皮質と旧皮質の間の神経結合も、思春期頃にならないと完成しないようです。

人間以外の動物は主として旧皮質で生きています。人間の大人は新皮質で生きて、新皮質が旧皮質を見かけ上調節して、新皮質から生きています。人間の子供は新皮質が成長の段階で機能はしていますが、動物と同じ旧皮質で生きていると考えた方が、理解し易いです。

正確では無いのですが、 新皮質の機能を意識、旧皮質の機能を情動 と言って良いと思います。情動は特別の場合意識に捉えられません(捉えられたときには、それを感情と表現しています)。潜在意識という意味です。本能、母性、等は情動の一部です。

これをおおざっぱに、概念的に表現しますと
動物の鳴き声は、人間の子供では言葉になります。
動物は旧皮質で生きていますが、子供も旧皮質で生きています。
人間だけは大人になると新皮質で生きるようになり、旧皮質は新皮質でその機能が見えないようになっています。感情と理解出来る物しか、意識に上りません。

子どもの心と大人の心とこのような大きな違いがあります。**「大人が子どもの心を知るには、子どもの心が表現した物から、その心を推測して、この結果を子供に戻して、大人が知った内容が子どもの心に沿っているかどうかを確かめる必要」**があります。
極論をしますが、子供を観察でき、その観察結果を子供に戻して確認できる人しか、その観察した子どもの心を知ることが出来ないと言う意味です。これを一番しやすい立場にいるのが母親です。