子供が自立した大人になるために

ある母親からの質問とそれに対する答えを書いてみます。
ここでの回答は母親の質問についての回答で有り、子供を元気にするための対応の全てではありません。でも多くの意味のある対応です。

>こんなこと申し上げると、子供のことで悩んでいらっしゃる母親達に失礼かもしれません。現実に自分の子供のことで悩んでいる母親が思いきって質問をしてみます。親として自分の子供に社会的引きこもりになって欲しくないという思いがあります。
其れは母親として自分の子供に持つことは間違いでは無いです。母親にとって自分の子供は、心でも経済的にも自立する必要があります。子供に問題を生じていない母親なら、このようなことを考えないでしょうが、不登校引きこもりの子供を持つ母親なら、当然それを願います。母親だから間違いではありません。

それでも子供が生きていくだけなら、公の保護を得る事が得られるなら、それらがなくても生きていくだけなら生きていけます。でも母親として、子供に少なくとも経済的には自立して欲しい物です。心の自立に関しては仕方がないと思う場合もあるかもしれません。

>親が子供の人生をコントロールしようとしない、子供の意思を尊重すること
言葉の上ではその通りです。心の自立を待つと言う意味です。子供の心が自立すると、子どもの方で経済的な自立を得ようと、その子どもなりに努力をするようになります。ですから、子供時代は経済的な自立を考えないで、心の自立を求めていくのが良いと思われます。

>疲れ切ってる時はゆっくり休ませてあげる
>叱咤激励して動かそうとしない
子供が疲れているように見えるときは、その見えているときは心が辛い状態です。この心の辛さから子供を守る必要が母親にはあります。只休ませるだけでは、幸運が巡ってくるのを待つだけになります。
体の疲れは休むことで回復しますが、心のことで疲れているように見えるときは、お子さんに何か辛い事があるという意味です。その辛さをお子さんが回避できるなら待っていて良いですが、多くの場合は取り除けません。その時は御母様が子供に加わっている辛さを取り除くべきでしょう。
子供の心が自立していると、子供は自分なりにその辛さを自分で取り除こうとします。それでも取り除けないとき、子供は取り除いてと言う場合もありますが、多くは言葉にしませんから、その時は母親が先回りをしてその辛さを取り除く必要があります。

>学校、仕事へ行ってても行かなくても大好きで大切な存在だと伝える
これは御母様しか出来ない事です。
子どもの心が元気なら、この言葉を母親が言う必要ないです。
子供の心が辛いなら、この言葉を母親が言った方が良いです。言う必要があります。言う事で子供が学校に行けない、仕事に行けないことから生じる自己否定を軽減させることが出来るからです。それは子供を元気にしますから。

>学校に行く、仕事に行くという望みを親は手放してみて、本人の好きなこと、趣味などで外へ出て行く機会を待ってみる
言葉の上ではその通りです。
けれど実際にこれを母親が手放すことは大変に難しいです。子どもの方でも、学校に行かなくてはならない、仕事をしなくてはならないという思いから自己否定を生じてしまいます。その結果子どもの方からなかなか好きなことをするために、趣味をするために、外に向かって動き出せない物です。
子供が外に向かって動き出すには、家の中に引きこもっている間に自分の好きなこと、趣味に没頭できて、それにより心のエネルギーを貯める必要があります。この言葉の他に、子どもの心のエネルギーが貯まっているかどうかを判断しながら、待つ必要があります。もし心のエネルギーが貯まってこないなら、子供がして居るすきなこと、趣味などが本当に子供が楽しめている物では無いと言う意味になります。

>親は自分の人生を楽しむ
それは大切なことです。ただし子供が荒れたり問題行動をしていない姿の場合です。子供が荒れたり問題行動をするときは、母親は可能な限り子供の側にいて、子供の辛い心を癒やしてあげる必要があります。辛い心が癒やされているという伽感的な姿は、子供が荒れたり問題行動をしなくなる姿です。