再度ゲーム依存症

>今、実際に不登校児に会って、不登校児が実際にやっているゲームを見て、そして自分でもやってみて、その上で不登校児のゲーム依存に警鐘を鳴らしている不登校カウンセラーさん達がいます。

子どもの不登校の問題を「確実に」解決するには、子どもの心を知らなくてはなりません。子どもの心と大人の心と大きく違うと言う事を予め知っておく必要があります。その違いは追ってお知らせしますが、まず大人の心で感じたことは、全く同じ事をして子供が感じる事と異なるということを知って対応をする必要があります。

不登校児が実際にやっているゲームを見て、そして自分でもやってみて、
その時カウンセラーが感じた思いと、その時一緒にしていた子供の思いと異なるのです。ですから、それ故にその時カウンセラーが感じた思いで、そこにいる子供に対応をして、それを子どもの方で受け入れられたら、カウンセラーの対応に意味が生じます。子どもの方で受け入れられなかったら、カウンセラーは拒否をされます。きっと拒否をされた例をカウンセラーは配慮していないのではないかと推測されます。

不登校児のゲーム依存に警鐘を鳴らしている不登校カウンセラーさん達がいます。
このような発想をするカウンセラーは子供の心が分からない人です。子供の心が分かる人なら、ゲーム依存という言葉を使わないはずですから。不登校などの心が辛い子どもの心から言うなら、ゲームはその子どもにとって精神安定剤のような物なのです。子供の辛い心をゲームで癒やしているのです。精神安定剤は脳全体に直に作用をします。副作用があります。薬の副作用だけで、薬への依存を生じます。

それに対してゲームは子供を苦しめている学校を思い出させないように作用をするだけです。それでいて楽しいので、子供は心が辛い内はゲームに没頭します。副作用はありません。もちろん依存もありません。

きっと皆さんは子供がゲームばかりをしていて、一向に止めようとしない、起きている内はゲームばかりをして、ゲームを止めさせようとしたら、子供が荒れてしまうことから、ゲーム依存という言葉を生み出したのだと思います。

所が子供はゲームをしていて、心が楽になったら、自分からゲームを止めて次の何か楽しいことを求めます。これを私たちはゲームの卒業と表現しています。

ではなぜ子供がゲームに夢中になり、あたかもゲームに依存をしているような姿になるのかを知っておく必要があります。前記のように子供がゲームをするのは、もちろん楽しいからですが、その楽しさで、学校などの辛い事を忘れようとしているのです。不登校問題が解決しない限り、多くの子供はゲームに耽ります。

その事実を知らない大人が子供からゲームを取り上げると、子供はその時感じて居た学校などからの辛さを再び感じるようになり、とても辛くなります。それだけで無く、子供はゲームを取り上げられることで大人から否定されることになり、その否定からの辛さも加重して、暴言、暴行になってしまいます。つまりゲームを止めさせようとしてゲームを取り上げたとき、子供が荒れるのは、子どもの心を知らない、子供の辛い心に気づかない、大人に問題があるのです。

子どもの心を知らない大人は、子供に対してとても勝手なことをします。ゲームやネットを制限された子供が心が辛いよと荒れたら、子供を病院にかけてクスリを飲ませようとします。大人は子供に副作用のある、子どもの成長に良くないクスリを飲ますことは平気でも、同じ子どもの心を安定させるゲームには、ネットには、ゲーム依存症、ネット依存症という、病名を付けて、ますます子供を苦しめることを平気でして居るのです。