競争

競争とは、基本的に大人の概念です。子供は子供なりに競争をして楽しみますが、大人と同じ競争の概念を子供は持っていません。子供では罰が無い限り勝っても負けても楽しんで居ます。子供では競争に罰がある事が問題です。

>先日、息子が、ゲームの、レースで、タイムを競っていました。パソコンとまたは、オンラインの誰かと、やっていて、もう、色々研究して、タイムを競うのです。そして、ベストタイムをだすと、嬉しそうに報告してきます。
それは息子さんの性格から来ていますから、息子さんなりと表現するのが良いと思います。

>そのうち、「今自分と戦ってんの!!」と叫びながらタイムをあげていました。
タイムという競争を自分に課していると言う意味でしょう。
競争に罰が無いから、息子さんなりの競争ですから、この場合はそのままで良いです。

大人は競争をそのまま学校内に持ち込んでいます。競争に勝った子供には褒賞が与えられて、負けた子供には罰(大人に派閥とは思えないないような)が与えられます。勝った子供は其れで良いですが、負けた子供はその分心が辛くなります。この辛さは母親が解消できますから、母親が解消をすれば、学校内に競争があっても問題なくなる可能性があります。しかし現実は、母親も子供への罰(母親としては子供のため友って)を与えてしまいます。

>友達と、競争ばかりで、負けて傷ついた子は、そのままで、運良く勝てた子だけが、スポットライトがあたります。
負けた子供にはその子供にとって罰が与えられています。大人には罰とは考えないような物です。それでもそれが積み重なると、とても大きな罰になりますが、大人には罰とは理解出来ないのです。罰には相乗効果があるのです。

学校内での競争とは勉強ばかりで無いです。学校生活一つ一つについて競争が持ち込まれている(先生に便利だから)から、競争に負けた子供がその罰で辛くなっています。大人には罰と見えないことが問題の表面化しない原因です。

運良く勝てた子供は、次に勝てるとは限りません。勝った後に負けることで、程度の差はありますが、葛藤状態になります。子供は運良くという概念がありませんから、単純に勝った負けたの判断しかありません。

叉このような問題があります。小学校で競争に勝ち続けていた子供が、中学校のようなもっと大きな集団に入った場合です。選択された集団の中では、競争に勝ち続けていた子供の集団になっている場合があります。その中では今まで勝ち続けていた子供が負けることになります。その際に生じる葛藤はとても辛いものになります。

>その勝てた、ということも、多少大人の操作が入っていて、学校の運動会も、あまり、好きではありません。
その要素はありますね。運動会はまさに競争ですから。程度の差はありますが、上記の競争が当てはまります。

あるとき大人の操作が入って勝てたとしても、別なとき大人の操作が不可能なときも有り、その時は勝てないことになります。すると勝つべき所を負けたとき、子どもの心に葛藤状態を生じます。子供への応援も同じです。その意味で、子供を競争に勝たせようとするとき、勝ち続けられるのなら良いですが、その様な子供はほんの僅かですから、基本的に親が介入しない方が良いです。子供としての自然態の方が良いです。