トラウマの理解2

現在小学校低学年ですが、転校含めて、今のところ「どの学校にも行きたくない」と言っています。登校刺激をかけずに家で好きなことをさせていたら、トラウマが消失する可能性はどれくらいありますか?
また、トラウマが消失した場合に学校に戻る可能性はどれくらいありますか?

担任が怖い人となった子供についてです。その子供が怖い担任に会い続けるなら、辛さの相乗効果を生じて、その場にいられなくなります。担任はいつも側にいるわけではありません。子供は家に帰って、家で過ごす時間で、担任から受けた辛さをを解消して、また学校に行くことになります。すると担任に会うとまた辛くなります。この繰り返しになります。

この担任からの辛さを家で、家庭で解消して、学校に行った場合、子供は担任を見た辛さだけになります。所が家庭で担任からの辛さを解消できないで、心が辛い状態で新たに担任に会った場合、その時の辛さは相乗効果を起こして、担任からの辛さがそれよりもより辛くなってしまいます。担任を以前よりより怖い人になってしまいます。これを繰り返すことで、担任が死ぬほど辛い人になっていまいます。この過程は周囲の人には全くわからないことです。もちろん当人も担任が死ぬほど怖い人と言う感覚しか残りません。

学校内には子どもに影響を与えない物が沢山あります。教室、机、友達、他の先生、そして学校そのもの等があります。これらは無関刺激です。無条件刺激は怖さを与える担任です。その担任から受ける怖さ、辛さが死ぬほど辛くなるとき、子供の周囲にあった無関刺激、教室、机、友達、他の先生、学校そのものから辛さを学習するようになります。これを条件刺激の汎化と言います。つまり怖さを与える担任から、学校や学校に関係する物に程度の差はありますが、辛さを怖さを感じるようになります。この状態になると、当人も、親も、担任も、その他の人たちも、なぜこの子供が教室や机、床立ち、他の先生、そして学校の建物や学校という概念に、辛さを感じるのか、全く理解出来ません。

体罰を振るった担任は、体罰を振るわれた子供にとって恐怖刺激です。上記の条件反射の汎化から恐怖刺激になった学校や教室などもその子供にとって恐怖刺激です。同じ恐怖刺激でも体罰を振るった教師が体罰を振るわれた子供にとって恐怖刺激だと、親や周囲の人にはわかります。子供を恐怖刺激の担任に近づけないことで、子供を恐怖から守ることが出来ます。所が学校に恐怖を感じる子供について、親や周囲の人は学校が恐怖刺激だと言う事を理解出来ません。当の子供も学校を見たり意識すると辛くなることはわかるのですが、なぜ学校が辛いのかわかりません。その結果子供は学校に行かされますし、子供自身も辛い学校に行こうとします。

このように恐怖刺激による恐怖反応は理解出来て避けることが出来ます。しかし汎化した恐怖刺激を避けることが出来ません。この汎化した恐怖刺激、当人も周囲の人も恐怖刺激では無いと理解する物に恐怖を感じるようになる恐怖反応反応をトラウマと言います。

大君人は体罰を振るった教師を怖くなることを、教師を恐怖刺激として学習することを、心が傷ついたと表現します。その恐怖刺激として学習した教師から新たな恐怖刺激を学習することが、条件刺激の汎化で有り、その恐怖反応がトラウマです。トラウマという場合、恐怖刺激があるのですが、その恐怖刺激が何かわからないので、その恐怖刺激から逃げられないので、その恐怖刺激がある限り、その人が絶えず心が辛い状態になります。不登校はそのトラウマで説明されます。

只多くの人は、不登校をトラウマで説明されたら困るのです。自分たちの活動が否定されてし舞うからです。だからといって子どもの心を守るために、トラウマという概念から不登校の子供の心を分析する必要があります。