見ない、言わない、笑顔

>どの分類でも(分類1や2でも)「見ない言わない母親の笑顔」の対応は必要でしょうか?
不登校の子供だけで無く、子供ならどの様な子供でも、どの様な文化に属するの子供でも、成り立ちます。但し、条件付きです。その条件とは、 「子供が荒れたり、問題行動をしていたり、心の病の症状を出していないとき、母親から見て、子供の姿が落ち着いているとき」 です。

大人には当てはまりません。子供の行動は大人と違って、情動行動だと言う事が前提です。一見理性的な行動でも、情動行動なのです。母親(母親がいない場合、子供が母親と認識する人)に褒めて貰う(言葉にはしませんが)子とを報償に行動するか、嫌なことから逃げるために行動をするのです。それほど子供の成長にとって母親の存在が大きいのです。

この母親の存在の意味は子供が無意識に母親からの信頼に応えたいという欲求の表れです。つまり母親とは子供が無条件で信頼できる人と言う意味です。この子供と母親との関係は、母親からの信頼に応えたいという子供の本能的な欲求は、信頼関係という言葉で表現できます。

子供は食料さえあれば体は育ちます。しかし母親がいないと心は育ちません。母親が実際にいないときは、子供が母親と認識する人が必要です。代理母です。母親がいる限り、子供は母親の感性を求めて、行動をします。

子供の行動を言葉で操作するときには、今のあなたが好ましくないから、言葉であなたを操作すると言う意味になります。それは今の子供を信頼していないという意味になります。子供は母親から信頼されていると、母親の信頼に応えたいと行動をします。母親の信頼に応えられないときは、子供ははは親に信頼してよという意味の問題行動をします。その子供から信頼してよという意味の問題行動を、母親がその意味を間違えて、常識的に子供が問題だと理解して、言葉で子供を操作しようとするのです。このことは常識に反しますから、叉別の機会に説明をします。

子供が問題行動をしていないとき、心の病の症状を出していないとき、子供は母親からの信頼に応えたいと行動をしますから、母親は子供に今のあなたで善いよというMSGを臆す必要があります。もちろん言葉でも良いですが、言葉にしなくても、母親が
子供を見ない、子供に言わない、母親の笑顔
があれば、子供は母親から信頼されていると本能的に感じます。

常識的な大人は、これでは子供を放任しているのではないか、それでは子供はとんでもないことを始めるという人がいます。この人は子どもの心と大人の心との違いを全くわからない人です。

以上は子供全てに当てはまります。特に心が辛い子どもは、母親から守られる必要があります。母親からの信頼に守られて、自分の心を元気にするのが最優先されます。自分の心が元気になったら、上記の一般論も叉当てはまります。