心が辛い子どもへの原則

「学校に行きたくなかったら行かなくて善いよ」と母親が言った場合、それは子供に学校に行きなさいという意味になる事を書きました。その理由として私なりの理解を書きましたが、その理解は間違っていないと思います。

この「学校に行きたくなかったら行かなくて善いよ」という言葉以外にも、親や大人が子供に条件を付けて子供に判断からの行動を任せるという場合を良く経験します。相手が大人ですと、相手の判断を尊重する良い方法ですが、子供ではそれが違ってきます。心が辛い年長の子供でも、親や大人から条件付けで判断を求められても、その条件の下での判断が出来ません。判断が出来なければ、今までしていたことをする事になります。

心が元気な子供では、それでもその子供なりにうまく立ち回りますし、その積み重ねから大人の行動に繋がることが出来ます。しかし、心が辛い子どもはそれが出来ません。心が辛い子どもにとって

「基本的に現状維持が精一杯」

なのです。それ故に、心が辛い子どもには、いろいろな条件を付けてそれに基づく判断や行動を求められることは、今の精一杯の現状を否定されたと感じるようです。それ故に、心が辛い子供に判断を求めることは、出来ないばかりか、条件を付けて行動を求める親や大人に不信感を持つことになります。その結果として、きっと親や大人から守られていない思いがするのではないかと思います。

心が辛い子どもには 「条件を付けた表現の仕方をしない」 ことが、とても大切です。絶えず心が辛い子供の心に沿っているかどうかを見極めて、沿っているならその表現をして良いですし、沿っていないなら言わない方が良いです。表現の仕方が、心が辛い子供の心に沿っているかどうか分からないときには言わないのが良いでしょう。