>私はグーグル先生に戻り 今度は深く掘り下げました 自閉症についての情報で 研究者や専門家以外の 自閉症当事者が書いたものを探したのです 「神経多様性パラダイム」 というものを見つけました 神経多様性パラダイムとは 自閉症についての新しい考え方です 自閉症を人間の神経発達における 自然変異の範囲の一部と捉えます かなり端的に言うと 自閉症というのは 思考方法が異なるということなんです
人間は思考から反応をすると考えているようです。その点で演者は間違っています。
思考からの反応について、この演者は非常に優秀なことは、自閉症の研究者になれ、TEDの演者として選ばれていることからおわかりだと思います。自閉症と自分を理解する理由は、意識をしない反応の仕方が自閉症と表現される物に属しているという意味でしょう。
産まれ持っていろいろな性格の人がいて良い子とはその通りで、その中に自閉症と表現される性格を持っている人がいるのも自然のあり方です。その持って生まれた自閉症の性格から、この演者のように自分を発展させられる人と、逆にその性格の故に、家庭から、社会から阻害されて、病院に縛り付けられる人も出てくるのでしょう。

生物多様性が健全で持続可能な 物理環境の創造を助けるように 神経多様性は 健全で持続可能な 認知環境の創造を助けます 神経多様性パラダイムによれば 脳には正常も異常もありません どのような形態の神経発達も 等しく正当であり価値があります どのタイプの脳であっても 全ての人は完全で平等な人権を持ち 尊厳と敬意をもって扱われます 万能薬のように聞こえますよね 「尊厳と敬意をもって人を扱うこと」 ごく当たり前のことです
これは自然淘汰の考え方ですね。人間以外の動物だったら、特別生存競争がある環境の中では、このようなことを言っていられません。生命の危険があるからです。生存競争のない環境の中では、このような考え方は成り立ちます。
 
>ところが驚くべきことに この考え方に対する反応は だいたい次のようなものです 「よくわからないな あなたについては納得できるのですが 全ての人には該当しないように思います この人なんかはどうでしょう? 見るからに自閉症ですよ ちょっと違うというレベルでなく まさに障害者ですよね」 
この演者以外の自閉症の人を見たら、多くの人が感じることだと思います。

>しかし私の見かけだけでは わからないかもしれませんが 私も障害者なのです ただし私を障害者にしている 原因は自閉症でなく 環境なのです これもまたパラダイムシフトです 
演者は自閉症という性格を自分の生き方に利用できたという意味でしょう。多くの自閉症と言われている人には難しいことですが、それが可能になる環境を演者は求めています。

>障害について当たり前だとされている考え方は 障害の医学モデルに基づいています 医学モデルでは 障害は個人の問題です そして障害を 障害のある人に負わせます つまり私にです 例えば私はショッピングモールが とても苦手です 騒がしい上に照明が強烈で 見通しが立たず ごったがえっています 私がショッピングモールが苦手な理由を 医学モデルで説明すると 自閉症であるため脳の情報処理に 問題があるからということになります 
本来なら自閉症があってもその人が守られるような社会であって欲しい物です。しかし現実の社会はそうなっていません。全く同じ人間なのですが、脳内での情報処理が多くの人と異なっていると言うことだけで、医学では障害者というレッテルを貼っています。

>でも障害について考える別の方法があります 障害の社会モデルと言います 社会モデルにおいては障害が発生するのは 環境がその人の個性に対応していない時です 社会モデルでは 「障害を持った人」とは言いません 障害は 荷物のように 持ち運ぶものではないのです
医学モデルで障害者とレッテルを貼られる人がいるのは、その障害者としてのレッテルを貼られてしまう人が行きづらい社会があるからと言うことを言って居るのだと思います。どの様な性格があっても、その人達が行きやすい社会を作る、それは理想でしょうが、現実は不可能です。不可能だと諦めてはいけ無いので有り、ある範囲で良いですから、障害者が生きやすい社会を人間社会の一部に作る必要があることは事実でしょう。