よい子を演じることの理解

週一回、放課後に学校に行くのは、お子さんからの発案だったのでしょうか、、、。
「よい子を演じる」というのは、本当に理解が難しいと感じます。
ただ、不登校になってしまったのであれば、お子さんは、学校や、学習に触れた瞬間に、顔色がかわったり、表情が変わる瞬間が、あったはずだと思います。
上手く、言えないのですが、傷があるのに、そこを完全に塞がずに、傷ついた場所へ、行ってしまうのは、出来てしまうのかもしれないけど、それは、きっとお母さんが喜ぶからお母さんを喜ばせたいからで、後々のことを考えたら、行かせない、お母さんから、止めてあげた方が良いと、私は自分の子どもを見てきて感じます。

>週一回、放課後に学校に行くのは、お子さんからの発案だったのでしょうか
子どもの場合、脳の仕組み、心の仕組みから、次のことが必ず成り立ちます。
不登校の子供は必ず学校に反応をして子どもを辛くするトラウマ=fecorを持って居ます。だから子供の本能から学校に行きたがっても、体は学校に向かって動きません。その子供が学校に向かって動いたと言う事は、子供を学校に向かって押さない限り生じません。

ここではっきりと生じないと申し上げましたが、子供の心は大人の心と違うから、このように脳の仕組みから言い切ることが出来ます。

>「よい子を演じる」というのは、本当に理解が難しいと感じます。
普通の人では、不可能に近いです。子供の心を理解出来る人でも、その気になって観察してやっと分かる程度です。
一番の問題点は、子どもは本質的に良い子だからです。子どもが本質的に良い子なら、それは普通に、その子どもなりに成長をしている証拠です。子どもに親にとって問題だと感じられるときには、子どもに何か辛いものがあるサインです。子どもが不登校の場合、心の辛さから本質的な良い子に出来ません。心が辛い子どもは本質的に回避行動を取ります。その回避行動の中によい子を演じるという回避行動があります。本質的に良いこと回避行動としての良い子と区別する必要があるのです。しかし前記のようにその区別は不可能に近いぐらいに子どもがよい子を演じてしまうのです。もちろん無意識にです。

>ただ、不登校になってしまったのであれば、お子さんは、学校や、学習に触れた瞬間に、顔色がかわったり、表情が変わる瞬間が、あったはずだと思います。
私も気づいたことはないのですが、あってもおかしくないと思います。多くの場合子どもがすぐに良い子を演じ始めるので、気づけないのかもしれません。

>上手く、言えないのですが、傷があるのに、そこを完全に塞がずに、傷ついた場所へ、行ってしまうのは、出来てしまうのかもしれないけど、それは、きっとお母さんが喜ぶからお母さんを喜ばせたいからで、
本当はそうではないのですが、よい子を演じるという概念を理解するのにこれでも良いと思います。応用上問題もありません。

>後々のことを考えたら、行かせない、お母さんから、止めてあげた方が良いと、私は自分の子どもを見てきて感じます。
その方が将来お子さんには有利になってきます。