社会の常識に例外がある

>どうしたら、こどもの周りの大人に、こころが辛いと、分かってもらえるかということだとおもいます。
学校が子どもの心を辛くすると言うことを理解できる人がほとんど居ないことがネックになっています。

>だけど、昔から、不良と呼ばれる子を、守る先生は、まれにいましたよね。
この場合の辛さとは、欲しい物が得られないというよな、物理的な、金銭的な、その結果の母性を求めても放棄されるような、欲求不満の要素が大きかったのです。今の子ども達にこのような要素は少ないです。

>悪いことをするこどもも、たとえば虐めや、暴力、幸せではないことは、分かります。息子が虐められた時も、相手も不幸なんだと、感じました。
そこには学校が辛いという要素が強く関わっています。

>それから、虐めの傍らには、いつの時代も、羨ましさ、嫉妬が、隠れていることがあります。
母性から守られていないという意味だと思います。

>でも、こどもには理解できないのだと思います。
大人でもわからないのですから。

>だから、もし、先生が、虐めに気づいたら、気にかけて、より話をきいてあげるべきなのは、虐められた方ではなく、虐めている方だと思うのです。
その通りです。さすがに高井さんですね。

>虐められたほうは、とても辛いと思うので、その母親が守ってあげれば、よいのですね。
その通りです。

>母親たちの意識が変わり、こどもの辛さが分かる母親が増えていけば、
>守られるこどもも、増えて、社会の常識も、例外があることを、認めなければならなくなりませんかね。
でも学校が、文科省が、先生が、其れを許さない可能性が高いと思います。

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赤沼