子どもの心に沿う

心の辛いこども、と何度もブログで読むたびにこどもを理解しないといけない、と思います。
このごろはもうこどもが夜何時にごはんを食べにダイニングへ降りてきているのか気にならなくなってきています。
母親は何もしなくていい、という言葉が心に残っています。幸いほぼ3食わたしの作ったごはんをきれいに食べて返してくれます。
時間がかかることは心配ですが心がそれだけ辛いということだから仕方ない、と思うしかないと残念ながら思っています。
残念に思っていることはこどもに伝わるかもしれません。
部屋にずっといる子どもを心の底から信頼しつづけることができる親がいるならとてもすごいことだと思いますが今のわたしには無理です。

>心の辛いこども、と何度もブログで読むたびにこどもを理解しないといけない、と思います。
私のブログの中で、子どもの心を理解して欲しいと書いてあったとしたら、其れは子どもの心の全てを理解して欲しいと言う意味ではありません。不登校の子どもを育てている御母様に理解して欲しいことは、不登校の子どもの心に、学校に反応をして子どもの心を辛くするトラウマ=fecorがあると言うことだけです。其れを理解できると、不登校の子どもには登校刺激がどれほど辛いのか分かるから、御母様は登校刺激から子どもを守ろうとすると思います。後は子どもが心のエネルギーをためて育っていくだけですから、御母様はfecorの存在以外を理解する必要がないのです。つまり御母様は子どもが元気になるまで待ってあげれば良いだけです。子どもの心に沿っていれば良いだけです。子どもの心に沿うのであって、理解という意味と少し違うようです。

>このごろはもうこどもが夜何時にごはんを食べにダイニングへ降りてきているのか気にならなくなってきています。
>母親は何もしなくていい、という言葉が心に残っています。幸いほぼ3食わたし
>の作ったごはんをきれいに食べて返してくれます。
>時間がかかることは心配ですが心がそれだけ辛いということだから仕方ない、と思うしかないと残念ながら思っています。
時間がかかると言うことは、子どものfecorが消えていく速度が遅い、つまり子どもの楽しいことが不足している可能性があります。不足していなくても、その子どもなりの社会への出て行き方を模索している場合もありますから、時間がかかることを母親として気にとめない方が得だと思います。

>残念に思っていることはこどもに伝わるかもしれません。
ゲームやネットに没頭している子どもでは、子どもの方で気づかないことの方が多いようです。ですから、子どもがゲームやネットなど、享楽的な楽しさに没頭していると、子どもは母親を信頼してくれています。御母様が残念に思っても問題ないとおもいます。

>部屋にずっといる子どもを心の底から信頼しつづけることができる親がいるならとてもすごいことだと思いますが今のわたしには無理です。
心の底から信頼という言葉の意味を大人で言う心のそこからの信頼なら、其れは意味が違うようです。
母親はどのような姿の子どもでも、自分の子どもだと、子どもを信頼しています。子どもの方でも、心が辛くなければ、不登校の子どもなら、登校刺激が無ければ、無条件で母親を信頼し続けます。つまり、母親が自分の子どもの辛さを守りさえすれば、後は子どもの方で自分の問題を成長をしながら解決します。其れを心の底から信頼すると言う言葉で表現するなら、その通りですが、大人の間で使う心の底から信頼し続けるという意味と違うのではないかと思います。