情動記憶

きっと、それは、本人にも分からないだろうし、なぜ胸の中が痛いのか、
なぜ心臓が苦しいのか、なぜお腹が痛いのか。
本当は、痛いのではないかもしれないし、もっと今までに感じたことのない感覚なのかもしれません。
それを、こころが辛いと、表現しているのでは、ないですか?
その脳の反射的な反応を出さなくするためには、普通の人が考えている何倍も時間がかかってしまうことを、母親は、受け入れるしかないのだと思います。
急がば回れではないですが、着実に、回復を待つのが一番の近道ではないかと、わたしは思っています。

>きっと、それは、本人にも分からないだろうし、なぜ胸の中が痛いのか、なぜ心臓が苦しいのか、なぜお腹が痛いのか。
本人が分かるには、本人の意識に上らなくてはなりません。不登校などの心の辛い子どもでも、辛いという事実は意識に上ります。つまり辛いという感情を生じます。

しかし辛さを生じる情報は大脳辺縁系で生じる情動ですから、その情動が体に表現されて、その体に表現された物を感じ取って、その感じ取った物を今までの経験から辛いと意識的に判断しています。

つまり意識に上る辛さは、辛い、痛い、暑いなどの、具体的な表現に可能ですが、具体的な表現をできない辛さもあります。何かしら辛い、辛いから何もできない、元気が出ない、嫌なことに敏感に反応をしてしまう、と言うことになるのだと思います。ですから、なぜ辛いのか、大人の持っている辛さと違う部分があるのは仕方が無いことです。その方面の本を読んでも、接近系の表現はものすごくたくさんあるし、回避系の表現もものすごくたくさんあります。それらはたまたまそのように意識して、感情として感じたという事実ではないかと思われます。

>本当は、痛いのではないかもしれないし、もっと今までに感じたことのない感覚なのかもしれません。
そうですね。上記のように詞であらわせられない感情表現なのでしょう。でも体の病気と同じような辛さ、痛みとして感じる場合も結構多いのです。そのような場合にはその症状を参考にして体中を今の医学で検査をしてみても、異常が見つからないから、体の病気の症状で無いことが分かります。

>それを、こころが辛いと、表現しているのでは、ないですか?
>その脳の反射的な反応を出さなくするためには、普通の人が考えている何倍も時間がかかってしまうことを、母親は、受け入れるしかないのだと思います。
そうですね。情動学習と表現されますが、子の情動学習は学校の勉強と担当している脳が共通の部分と、共通でない部分があります。いずれにしても脳が記憶した結果生じるのですから、学校で習ったことを忘れてしまうように、この情動学習を忘れるにも時間がかかります。

急がば回れではないですが、着実に、回復を待つのが一番の近道ではないかと、わたしは思っています。
そうですね。ただ忘れるだけでなく、情動学習には忘れさせる方法があることが学校で勉強をしたことを忘れるのと共通の部分と違う部分があります。