よい子を演じる

<質問>

よいこを演じて育つ、よいこを演じるのは大抵回避行動からですよね?それ以外はなんですか?挑戦ですか?挑戦なら、よいこを演じると言わなくてよいと思います。
今の子供の生き方が良いか悪いか、その価値判断は大人になった当人次第だと言うことは、今の子供の生き方は子供自信の判断で、親は良し悪しを判断するなということですかね。

<回答>

>よいこを演じて育つ、よいこを演じるのは大抵回避行動からですよね?
私も以前はその様に思っていました。

不登校の子どもへの対応をしていく内に、よい子を演じると言うことは、親やその子供に関係する大人からの見た目から「よい子」と理解する場合だと言うことに気づきました。
ですから子供が辛さを回避するために、その場では関係する大人が良い子と理解するように、子供の以前からの経験でよい子を演じることを考えていました。勿論子供は無意識に反射的に、よい子を演じています。

其れ以外に、子供がその子供なりに何かその子供にとって難しことに挑戦している場合も、その子どもの親やその関係者が、その子供が良い子と理解する場合もあることに気づきました。そのことに気づいて、よい子を演じるという言葉を使うときには、可能な限り、「嫌悪刺激から回避するためのよい子を演じる」と表現するようにしています。勿論其れも子供の心のエネルギーをよりマイナスに向かわせない子供からの無意識な反応の仕方です。挑戦は心のエネルギーがプラスの状態で、その心のエネルギーを向かわす方向ですから、子供も無意識です。

>それ以外はなんですか?挑戦ですか?
>挑戦なら、よいこを演じると言わなくてよいと思います。
上記の理由です。注意しなければならないことは、親にとっても、周囲の人にとっても、子供の嫌悪刺激からの回避行動と挑戦とが区別できないことです。学校の先生はこの間違いを頻繁に起こしています。

>こども自信の判断で、親は良し悪しを判断するなということですかね。
子供は意識をしていませんから、子供自身は判断していません。ただ単純に情動行動です。その子供の情動行動を親がどのように判断するかの問題です。親が判断しても間違えることが多いので、子供の心のエネルギーを見て判断する必要があります。そのためには心のエネルギーとは何かを知る必要があります。

回避行動からのよい子は、心のエネルギーがマイナスです。
挑戦からのよい子は、心のエネルギーがプラスですう。
しかし実際に心のエネルギーを客観的に計る方法がありません。