学校を変える

ある不登校の子どもを育てている母親から学校批判を頂きました。

学校を変えることが難しいからといって、専門家であって学校を変えることができる立場にある人が、何もしないか、適当に表面上何かしている体裁で、いつまでもその地位にいるのは、本当に嫌気がさします。
多くの人は案外変化を嫌うのですね。単純に、退屈じゃないのですかね?その様なことを言う私が変わってるんでしょうか?
時代がどんどん変わっていくのに、今の学校の本質は具体的にまったく変わらずありつづけています。其れが私にはとても信じられません。
子ども達が不登校になっていなくても、おかしいと思います。運動会、合唱曲、まだ、同じ歌使ってるの?から、はじまり、ずっとかわらない、または、昔より遊びがない、窮屈な学校。これでは子ども達の心は元気に育たないと思います。将来の日本やばい、と私は思います。

<解説>

>学校を変えることが難しいからといって、専門家であって学校を変えることができる立場にある人が、何もしないか、適当に表面上何かしている体裁で、いつまでもその地位にいるのは、本当に嫌気がさします。
私もこの母親と同じ意見を持っています。其れと同時に、今の学校を利用して子供を育てようとしている母親達の意見も知っていますし、今の学校を利用して子供を育てて現在に至っています。

今の学校で子供が苦しんだ経験を持っている親では、自分の子供を守るために、今の学校の問題点が目につきますし、どうにかして欲しいと思います。但しその様な経験をしている親は少数派です。今の学校を利用して子供を育てている親にとって、学校が変わると子供を育てられない、子供を教育できないという問題点を出してきて、学校が変わって欲しくない親の方が多数派です。この多数派に同調しているのが政府であり、専門家達なのでしょう。

>多くの人は案外変化を嫌うのですね。単純に、退屈じゃないのですかね?
そうですね。多くの親は学校制度に従って子供を育てていますから、学校制度が変わることが困るのです。日々の生活で精一杯な親たちが、学校制度が変化することで子育てを変える必要が出ると、それに自分たちを変える余裕がないのでしょう。だから多くの親には変化が必要ないし、変化を好まないのだと思います。
でも変わってしまうと、それに従って子育てをしていますから、結果としてどうにかなっています。

>その様なことを言う私が変わってるんでしょうか?
旧態依然とした今の学校制度に風穴を開けるのにとても大切だと思いますが、所謂教育の専門家は多数に従いますから、取り入れてくれない、相手にしてくれないのだと思います。

>時代がどんどん変わっていくのに、今の学校の本質は具体的にまったく変わらずありつづけています。其れが私にはとても信じられません。
本当は変わるべきでしょうが、どう変われば良いのか、政府も所謂専門家も分からないのだと思います。少しずつ学校を変えて現在に至っていることは事実ですが、その結果として学校ありき(その意味は学校があって、その学校のための子供がいるになっている)という現実もあります。

>子ども達が不登校になっていなくても、おかしいと思います。
子供が不登校になってその親が気づくことなのです。不登校にならない子供の親は気づけないし、気づけないまま今の学校を利用して子供を育て続けています。其れが親の取っての安心だからです。

>運動会、合唱曲、まだ、同じ歌使ってるの?から、はじまり、ずっとかわらない、または、昔より遊びがない、窮屈な学校。
この部分について、子ども達の立場に立って、本気で考えてあげる必要があります。特に子ども達にとって窮屈な学校という観点はとても大切ですが、学校にとってはその方が学校としての存在を維持しやすいという理由ではないかと推測しています。

>これでは子ども達の心は元気に育たないと思います。将来の日本やばい、と私は思います。
今の学校は、学校のための子ども達になっている要素があります。また多くの親が其れを求めていますから、経験から発言をする専門家達も解決法を見つけ出せないのかも知れません。ですから現時点では、この事実に気づいた親たちが、自分の子供の不登校を恐れないで、問題視しないで、発言をすると同時に、自分の子どもの心に沿った子育てをするしか方法がなさそうです。