子供の自殺2

子供の自殺の大半について、自殺の原因が分かっていません。遺書もありません。親も子供が自殺しそうだとは感じていません。其れは何を意味するかというと突発的に子供は自殺をしているという意味です。

子供は成長のさなかにあります。子供は自殺をしようとする能力も知識も持っていないはずです。其れなのに自殺をしてしまうと言うことは、子供が発作的に何かをしたときに、その結果として死んでしまっていると推測されます。その発作的に何かをしたところは、学校ではなく、家庭でもなく、其れ以外の場所だと言うことです。其れも一人で居るところです。

子供が一人でいても、子供が楽しく過ごしていれば自殺をすることはないはずです。子供が楽しくない場合に自殺をしているはずです。どのような理由で楽しくないか考えてみます。学校生活が楽しかったら、家庭での生活が楽しかったら、一人になったときでも楽しいはずです。ですから自殺をした子供は学校でも、家庭でも、楽しくなかったはずです。其れなのに学校でも、家庭でも、子供が楽しくなかったと言うことに気づいていません。つまり、自殺をした子供は学校でも、家庭でも、子供の心は辛かったのに、教師や友達、親にも気づかれないように、よい子を演じ続けていたと考えられます。

よい子を演じていると、よい子を演じなくて良い場所で、子供はより辛くなります。そこでよい子を演じている子供は、学校外で、家庭外で、無意識に、発作的に、大人の目から見たら、問題行動をするようになります。その問題行動が、子供の心の居場所を求めていると理解されるような行動なのです。勿論子供は以下のように考えているのではありません。

学校で子供の心が辛い、家に帰っても子供の心が辛い、そこで子供は心の居場所を求めて、心がほっと安心できる場所を求めます。其れが家出であったり、町中の放浪であったり、どこかに隠れていたりすることです。けれどその様な子供の中に、大人から見たら命を失うような場所や事柄を求めて、発作的に其れをしてしまう子供がいます。子供としては死にたいのではないのです。心の居場所を求めて行動をしたところ、其れが死に繋がってしまったという事実です。

心が辛い子供には自傷行為という物があります。大人はこれを自殺に繋げて考えますが、子供は心の安心を求めて自傷行為をしていますから、子供の場合これで死ぬほど自傷行為をしません。