発達障害と逆行動の法則

発達障害とは、身体や、学習、言語、行動の何れかにおいて不全を抱えた状態であり、その状態はヒトの発達期から現れる。
障害という言葉が、人を差別している言葉になっています。確かに日常生活で支障を来すという意味で障害という言葉を使っているのでしょうが、病気という言葉は使っていません。日常生活に障害を来しても其れで良い人は、其れで良いと思うので、ある日常生活に障害を来している人でも、障害者という問題があるというような表現は好ましくないと思います。

私が幼い頃、巨人症という障害者(当時は病気としてみていました)。治療として足切り術というのがあったと記憶しています。今は背が高いことを好まれています。背が高くてバスケットの選手として、バレーの選手として活動の場があります。背が低くて体重が軽い人は競馬の騎手として好まれるようですし、障害自体が時代の要請によって変わって来るわけです。

>原因は先天的な脳機能の偏りであることがほとんどで、発達の偏りに伴う能力の欠落は生涯にわたって治ることはない
確かに素因という物があります。それでも成長によって変わってきます。その結果は生涯にわたって続きますが、欠陥と表現すること自体が偏見では無いかと思うのです。他の人と異なることを障害として、其れを他の人と同じように当人がするのなら良いのですが、他人が其れをすると、他の人と異なる性格を持っている人の否定になります。他の人と異なる性格を持っている人が、他の人からその異なっていることを指摘され、矯正される対応を受けると、他の人と異なることで辛い思いをしている人は、矯正という否定を受けることで、ますます辛くなり、他の人と異なる違いをますます強めてしまいます。その結果大人になっても他の人と異なることで苦しみ続けて、他人から見たら「欠落は生涯に渡って直すことはない」と言う人が出てくることになります。

それに対して他の人と異なる性格を持っていそのる子供でも、その異なる性格を認められると、その子供なりに異なる性格を修正して、その子供なりの大人になっていけます。例えば子供のうちのどもりがあります。ある人はそのどもりを治すように対応を受けた結果大人になっても酷いどもりが続いています。多くの子供のどもりは、どもりを矯正する対応を受けないで、その子どもなりの成長を認められたら、どもらなくなっています。子供は成長をします。社会に順応します。其れを否定された子供は、発達障害としてとても辛い大人になってしまいます。

この事実は私の経験であり、実証実験があるのではありません。統計的な事実でもありません。しかし子どもの心の仕組みを考えると、逆行動の法則が成り立っているように感じています。