学校という囲い

日本の多くの親にとって、子供が学校という囲いの中で育ってくれると、育てやすくてありがたいです。子供の方でも、自分の将来が見えないので、学校という囲いの中で育つのが楽です。ただ、中学から高校という囲いの移動の際、高校から大学という囲いの移動の際、受験競争があり、そのために親が子供に関わりを強めています。それでも、親の経済力の関係でこの学校という囲いの中で成長できない子供、子供がこの学校という囲いの中からはみ出たりしてしまった子供、又子供自身が既に何か目標を持って、この囲いの中から出ている子供もいることも事実です。

多くの子供では大学という囲いの先に就職があります。この就職活動は受験と異なるので、多くの親は子供が大学生になると、子供への関わりを止めるか少なくしていきます。それは子供の立場から言うなら、それまでは親の方針に従わなくてはならなかったのですが、大学生になったら、その縛りから解き放たれて、自分で意思を出す必要が生じます。多くの子供で、それまで意思を出す機会を奪われていたし、意思を出すことを禁止されていたので、大学生になると自分探しをしなくてはなりません。それは多くの子供ではそう簡単なことでないようです。その結果、その時の目先の子供の興味からの生き方をすることになります。とても将来の目標という物はありません。其れは仕方が無いことです。それで大学を卒業できるからです。

大学を卒業するに当たって、それまでとは全く異なった就職活動をすることになります。きっとそれは大学生活とは大きく異なっているはずです。ですから、それまでの学歴とは異なった、子供自身の会社への売り込みになっているようです。就職したい会社への自分の売り込みという点で、しっかりと意思を出す必要が出てきます。その意味で大学生活の中で自分の意思を出す練習をしてきている子供には、それほど難しい物では無いと推測されます。

あくまでも私の推測ですが、会社の方でも大学の学業をそれほど問題にしていないように思われます。それよりも会社の人材育成に答えられるかどうかを見ているように思えます。会社の人材育成に答えて、会社への貢献が出来る人に育てているようです。但し全ての会社がそうだとは言えないと思いますが。もしそうだとしたら、子ども達は何のために大学に行くのか、不思議に思えます。

不登校の子どもへの対応をしていると、中学から社会に出て活躍する子供がいます。高校に行かないで高校卒業の資格をとって社会に出て活躍する子供が居ます。その資格から大学に行き、それから社会に出て活躍する子供がいます。これらの子供はしっかりと自分の意思を出して社会に出ています。学校という囲いの中で育った子供もしっかりと自分の意思を出して社会に出ていますが、それらの子供の中に、自分の意思を出す能力が育っていない子供がいるように見かけます。