続けてコメントにお答え

>心のエネルギーがマイナスにならずに、いわゆる普通の学校生活を送ってきた子供たちが実はほとんど心のエネルギー不足だということでしょうか?
エネルギーという概念が曖昧ですから、その点をまずお話ししておきます。
日常エネルギーと言うときは、物理的なエネルギーを言います。体の中のブドウ糖を燃やして、物理的なエネルギーを作ります。ですから表現する単位がカロリーです。
心のエネルギーとは、何かをしようとする傾向、何かを求めようとする傾向、意欲と言って良いと思います。その意欲には方向性があります。プラスの心のエネルギーとして、遊びに向かう心のエネルギー、勉強に向かう心のエネルギー、身の回りや家事をする心のエネルギーなど、考えられます。これらの方向性は必ずしもはっきりと区別できる物では内容ですし、人によって異なります。経験的に、学校や勉強に向かう心のエネルギーと遊びなどの楽しいことに向かう心のエネルギーには、重なりが少ないようです。
マイナスの心のエネルギーとは、心が辛くなる様な反応の仕方をする場合です。当然体を動かしますから、物理的なエネルギーを使用しますが、心のエネルギーという観点からは、何かから逃げようとする傾向ですから、プラスの心のエネルギーに対して、マイナスの心のエネルギーと表現できると思います。
このプラスの心のエネルギーとマイナスの心のエネルギーとは相殺するようです。ですから不登校などのマイナスの心のエネルギーがあるところでは、プラスの心のエネルギー、その子どもにとって楽しいことをさせることで、心のエネルギーをマイナスからプラスに変えることが出来ます。

そこでご指摘の問題に戻ります。普通の学校生活という意味を、親や先生の言うとおりに従って生活している子供は、楽しみとして、友達同士で群がったり、何かの遊びをして過ごしています。学校や勉強、将来に関して、興味を持っていても、それほど強い興味や意欲を持っていない子供(結構多いのではないかと思うのですが)は、学校や勉強、将来に関する心のエネルギーを持っていないことになります。しかし友達同士で楽しむという心のエネルギーは大きいようです。この友達同士で楽しむ心のエネルギーが大きいと、何かの理由でその子供が学校や勉強、将来に関心を持ち出したときには、その友達同士で楽しむという心のエネルギーを、学校や勉強、将来に向かう心のエネルギーに変えることが出来ます。

この事実から、学校生活を楽しんでいる子供の関心を、勉強や学校、将来に向かう関心に変えるのか、そこが大切な問題になります。その時まで学校や勉強、将来に関心を持てない状態で育ってきた子供に、その関心をこの方面に向かわせる何かきっかけが必要なのですが、親は言葉で与えていても、それが子供の方で実感になっていないという、自分の関心を変えるだけの力を持っていないという現実のようです。その大きな要素は習慣だと思います。小学校から、親の言うことに従うことしか経験してきていない子ども達にとって、自分の意思を出す練習が出来ていないという意味です。

>子供たちの中には大きく分けて
>①親から過干渉を受けずに心のエネルギーもプラスのまま自己解決能力も高く育つ子
このように親が子供を育ててくれていたら、学校や勉強、将来に向かう心のエネルギーは、大きくなって言ってくれていて、学校や社会を利用して、その子供なりに納得する大人になれるはずです。親が希望する子供の姿になると思います。

>②心のエネルギーはマイナスではないので学校に普通に行けたが親から先回りをずっとされてきたので自分で物事を決められない子
学校制度がしっかりと出来ている国では、このような子供が多いのでは無いかと推測します。これも決して悪いことでは無いと思います。多くの子供は、最終的には国が、社会が求める人になってくれますからです。但し当の子供が納得した生き方をしているかどうかは別です。そこが①と大きな違いです。

>③学校で心のエネルギーがマイナスになったことで不登校になり、親の先回り等が原因でなかなか心のエネルギーが貯まらず、自己解決能力おろか社会に出ていくこともできないでいる子
あくまでも概念的ですが、これは子供として生まれてきた意味がありません。なんとしても防ぐ必要があります。

>④不登校になったが親が学校に行かせず先回りもしない対応で徐々に心のエネルギーが貯まっていき、社会に出ていくことが可能で、さらに親の言うことではなく自分で解決することができる子
この子供では、学歴が無いですが、最終的に①と同じような子供から大人になれます。ですから、現実に不登校になった子供には、このような形で大人になって貰うように、母親達に御願いをしています。

>がいると思ったのですがいかがでしょうか。
>ブログを読んで、現代の日本では②が圧倒的に多く、次に③が多く、①と④は極少数だと思いました。(もちろん4つに分類されない子供も沢山いるとは思いますが。)
この分類は当たっていると思います。但し、はっきりと境界づけはできませんが。

>心が元気な子には先回りしても良いし効率的だとおっしゃっていたかと思いますが、上記のことが当てはまるとすると、いわゆる普通に学校に行っている子もそれではダメだということでしょうか。
駄目かどうかは当人が決めることだと思います。親の言うことに沿って、教師の言うことに沿って、国が言うことに沿って、自分の意思を出すことも無く、生きていくことも、当人がそれで良いと納得できるなら、それは間違いでは無いです。それでも何か問題を生じたときには、それまでのその人の生き方に疑問を感じるようになると思います。その疑問を社会が解決してくれるならそれで良いのですが、解決してくれないとき、どのように解決するのか、解決能力がある人になっている必要があります。そのためにはしっかりと自分の意思を出せる人になっている必要があります。

不登校の子どもは、その時点で社会からの問題で苦しんでいます。未だ解決能力が無い子どもは、親により社会からの問題から守って貰い、守られている間に社会からの問題を解決出来る能力、それはしっかりと自分の意思を出す練習をして、子供社会に戻ったり、大人社会に出て行く必要があります。