愛情からの登校刺激

不登校の子どもがもつfecorとは、子どもが、自分を守るために、反射的に恐怖を感じて、動けなくすることですね。
本能から学校に行きたくても、子どもから行きたいと言ったとしても、体は本当は動けないということですか。

心には意識の心と習慣の心と情動の心があります。子どもでは意識の心は機能をしていないと考えて実際上問題がありません。

習慣の心は、子どもは普段から学校に行っていましたから、学校の中で特段何か中ったら子供は自然と学校に行こうとします。

情動の心は感情を生じる心と一応表現しておきます。生命を守るための心です。

この意識の心と情動の心との力関係を考える必要があります。登校刺激を受けると、情動の心は反射的に回避行動を取らせます。子どもを動けなくします。

子どもが学校に行きたいという本能からの欲求を生じても、心のエネルギーを生じても、多くの不登校の霊では、fecorから生じるマイナスの心のエネルギーの方が遙かに大きくて、子どもは言葉では学校に行きたいと言いますが、体は学校に向かって動かないことになります。

>本能から学校に行きたくても
これはプラスの心のエネルギーですね。
>子どもから行きたいと言ったとしても
これは知識から生じるプラスの心のエネルギーですね。

それ以外に習慣的に学校に行っていたという、学校に向かって動くプラスのエネルギーがあります。

それに対してfecorは登校刺激に反応をしてとても大きなマイナスの心のエネルギーを生じます。多くの人はこれに気づいていないから、子供の心にあるfecorを無視して子どもを学校に行かせようとします。

fecorは医療でもトラウマと言ったり、PTSDと言ったり、とても辛い症状で治療法がありません。ですから、現在の不登校の子供を学校に行かせようとする対応はこのfecorを反応させ、fecorの反応を強化させて、不登校問題の解決から遠のくのですが、残念ながら今の世界中の大人はこのfecorの存在を知りません。せめて不登校の子供を持つ母親だけでもこのfecorの存在に気づいて欲しいのです。

fecorは情動記憶ですから、機能をしないで時間が経つと段々弱まっていき、見かけ上完全に消失します。普通の大人になれます。多くの親はそれを待てなくて、その親なりに登校刺激をしてしまい、fecorの消失を遅らせて、不登校問題の解決を遅らせているという現実があります。その遅れた結果、自立した社会人に出来ないと言う問題点を抱えています。