よい子を演じる(2)

子供は何を感じ、考え、行動するか、から

前回、今回のよい子を演じる に関する私からのMSGは、全ての子供も当てはまることではありません。不登校などの心が辛い子供に関するMSGです。不登校でなくても、何かの理由で心が辛くなっている子供にも当てはまります。そしてある特定の状態にある大人にも当てはまります。しかし大人の場合は、大変に難しい条件設定がありますから、ここでは不登校などの心が辛い子供についてだけ述べます。不登校などの心が辛い子供には、子供によって程度の差がありますが、確実に当てはまります。

よい子を演じる子供は 「無意識によい子を演じていますが」 それは反射的によい子を演じると言って良いと思います。つまり、子供を含めたほ乳類は、その辛い物から、辛いところから逃げようとします。人間以外のほ乳類はその辛い物から物理的な距離をとるように逃げようとします。この物理的な距離を取れないほ乳類は死を意味するからです。ところが人間の場合、必ずその辛い物から逃げられるとは限りません。

人間には知識=記憶があります。以前たまたまうまくこの辛い物から逃げた経験がある人間は、その過去の知識を利用して逃げようとします。それがよい子を演じる姿なのです。つまり、よい子を演じるには過去の経験を記憶しておく必要があります。その意味で、よい子を演じる子供は頭が良い子供です。辛い物から逃げられない、よい子を演じても辛い物から逃げられないと、人間は他のほ乳類と同じように、その辛い物に向かって暴れたり、問題行動をします。

この辛い物からよい子を演じて逃げられても、当面の辛いことから逃げられたと言うだけで、繰り返しその辛い物に出会うと、その都度辛くなることに変わりはありません。それどころか、周囲の人はその辛い物を、その辛い物で辛い思いをする人に、その辛くなる人にとって好ましい物だと判断して、かえってその辛い物を、その辛い物で辛くなる人に、与えてしまうことが多いです。この繰り返しは嫌悪刺激の相乗効果を生じて、その辛い物で辛くなる人の心をますます辛くして、「直接的に」 よい子を演じられなくしてしまいます。

直接的によい子を演じられなくなる前に、その辛い物で心が辛くなった人は、子供は、その辛さを何かで解消する必要があります。解消出来ないと生きて行かれないからです。人間以外のほ乳類では死を意味します。そこで何かで解消して、それまでの生活に戻る必要があります。その辛さは、多くの人に気づかれないところで解消しようとする傾向があります。気づかれたら、辛さを解消するのを阻害されて、心が楽にならないからです。勿論無意識にです。その結果、人の気づかないところで問題行動をす様になります。その人が気づかないところで問題行動をしても心の辛さが解消しない人は、子供は人前でもその辛さを解消せざるを得なくなります。その結果は程度の差によって、事件になったり、不良行為になったりと理解されることになります。