登校拒否と不登校

最近、登校拒否という言葉を使う人が殆どいなくなりました。多くの人が不登校という言葉を使用しています。不登校という言葉は、子どもが学校に行かないという姿そのものを指していて、わかりやすいことは事実です。

子どもが学校に行かないという姿が一日でもあれば、その一日について子どもは不登校ですが、その学校に行かなかった日について、親が納得する理由があると、つまり子供が学校に行かない理由を親が理解できるとき、その時の子どもの姿を不登校と理解しません。然しその時の子どもの姿ですら、その子どもの親以外の大人から見たら、その子どもが学校に行かない理由が分かりませんから、その子どもは不登校になります。

子どもの行動や姿を決めているのはその子どもの心です。心は目で見ることは出来ません。子どもの心を知るには、その子どもの表情や行動、言葉を利用します。不登校は子どもが学校に行こうとしない行動です。子どもが学校に行こうとしない行動から、その子どもが不登校だと分かります。その子どもが学校に行こうとしない行動と同時にするその他の行動から、子どもの心を知ることが出来ます。つまり子どもが置かれている状況下で、子どもはその環境に反応(登校拒否の反応)をして学校に行かないという行動(不登校の行動)を表現しています。

つまり、登校拒否とは子どもの心の中の表現した言葉、不登校とは子どもがその行動で示した物を表現した言葉です。ただし、学校に行かない=不登校を子どもの心の表現だと理解したときには、不登校と登校拒否と同じ意味になります。

不登校とは子どもが学校に行かない姿ですから、周囲の人から判断しやすいです。不登校は子供が学校にいないときに生じている子どもの心の動きですから、目に見えません。周囲の人からその子どもの心を理解できません。判断出来ません。それ故に登校拒否という言葉が使われなくなっているのではないかと推測されます。