将来

不登校の子供が自分の将来について語り出した場合です。

>未来について、考えたりすることは、練習すれば、子どもにもできる、ということですね。
言葉として可能です。ただしその場合は大人の言葉の受け売りになります。子供はその言葉の実体を経験していないし、意味も殆ど分かっていません。

>こどもは、今が楽しければ、明日のことすら、あまり考えてないですよね。親は、特に母親は、子どもの未来について、あれやこれやと、提案したり、うながしたり、しない方が良いのだと、思い直しましたが、それで良いのですよね?
そうです。
考えていないこと、必要を感じていないこと、分からないことを言われても、子供は困ってしまいます。母親の言葉を聞き流せる子供なら良いのですが、その言葉に子供なりの反応をするようだと、その時子供は今の自分を否定されていると反応をするようになります。

>こころが元気なら、こどもは、学校や、習い事などで、未来を考える練習をするのですね。
それは知識の上です。子供時代にはそれに向かって動くことは出来ません。かえって、その親が期待する希望に向かって動けないことから、自己否定になる可能性もかなりの率で生じています。信頼関係を壊してしまいます。

不登校の子どもも、おそらく、いつかは、自分から自分の未来を考えるように、なるのですね。
楽しければその楽しさの延長上に自分の未来を考えるというより、希望を持つようになります。大人の言う未来像ではありません。

>それを、待つのが、母親は、もどかしく、不安で、何かに、すがりたくなるのですね。でも、こころが元気で、学校に行っている子ども皆が、自分の思い描いた未来を実現出来る証拠は、どこにも無くて、
その通りだと思います。
その意味について(全てではないことに注意をしてください)子供は親のために学校で勉学をしていると考えて良いと思いいます。

>案外、学校に行かなくても、自分から考えて、自分から目標を見つけて、実現するために、行動できるようになる、それは、経験者だけが、証明できるのですね。
そうですね。
何かに夢中になっていると、そして親がそれを認めるなら、子供から言わせるなら、学校などどうでも良くなります。スポーツ留学や芸術の留学などはそれに相当しています。社会もそれを不登校としない扱いをしてくれています。実際は学校での勉学を殆どしていないのですが。

>学校にいって、自分から目標を見つけて、自分で、行動できるようになり、夢を実現できたなら、それはそれで、素晴らしいですが、学校に行けなくなってしまったのだから、そこからのベストな生き方を支えてあげれば、良いのですね。
そうです。
何かに燃えて学校に行かないと、不登校で学校に行かないと、学校に行かないことは同じですが、学校への拒否反応をなくして、何かに燃えるように子供がなるなら、その子どもなりの成長が出来るのは、何かに燃えて学校に行かないのと同じになります。

不登校の子供には、学校に戻そうとするのではなくて、何かその子供なりに燃える物を見つけさせてあげると、思わぬ結果、親が喜ぶ結果をもたらします。