子どもの居場所

私なりに理解してRESをしてみます。

>母学校に行かないとという知識はあるのに、
母親には子どもが辛いときには学校に行かさないという知識を持っていても、母親の目から見て子どもが学校に行けそうだと学校に行かせてしまうという意味ではないかと推測します。つまり、子どもが学校で感じる感覚より、目の前の子どもについて、母親の主観、感覚が優先してしまうという意味ではないかと思います。子どもが家にいるときは未だよい子を演じられているのでしょう。その子どもがよい子を演じている姿から、子どもは未だ学校に行っても問題ないと理解しているのではないかと思います。しかし子どもの方では、家ではよい子を演じられても

>学校にいくと、どうしようもなく体が辛くて、行かれない自分
家ではよい子を演じて母親は気づかないけれど、子どもは学校では辛くて辛くて、学校から逃げ出したい状態の心で、家に帰ってきているのでしょう。

>親に持っている言葉で必死に訴えても真剣にはとりあってもらえず
親は子どもの言葉から子どもを理解しようとするのは良くあることです。しかし子どもは大人と同じような語彙を持っていませんから、言葉を用いて自分の感じ方を述べることができません。子どもはそのとき持っている語彙から自分の体や心の説明をしても、親は子どもの言葉から全く異なった理解をしてしまいます。子どもの感じ方思いを子どもの心に沿って理解しようとしません。この程度なら子どもは学校に行けると、子どもが学校に行きたがっていなくても、親は子どもを学校に押し出します。

>学校におしだされてしまう自分、家にも学校にも居場所がない、だから、、、。ということですよね。
家に居場所がない、学校に居場所がないなら、子どもはどこに行くでしょうか?子どもは町の中をぶらつく、人目につくといろいろと言われるので、人の居ない公園や森や話の中を歩き回り、学校が終わる頃、家に帰ってくることになります。
お小遣いを持っている子どもは朝電車に乗って、電車を乗り続け、夕方に帰ってくる子どもも居ました。公園の中の土管の中で半日を過ごしてきた子どもも居ました。
このように学校に行かない時間を過ごしても、それはすぐに親は気がつきます。子どもを責めます。すると子どもはこれらのことで時間を過ごすことができなくなります。そうしたときに子どもはどうするでしょうか?もう他に行くところがなくなります。

これから先は推測しか方法がなくなりますし、たまたま子どもの姿を見た人の話を想像すると、そのような子どもは吸い込まれるように電車の前に、ビルの踊り場や屋上から、その先に行こうとしてしまっているようです。地球上に居場所がなくなった子どもは未だ見たことがない場所を求めて、発作的な行動をしてしまうのです。

多くの親はなぜ?と問い続けるでしょうが、子どもの居場所がなくなっていたことに気づかない限り、いくらなぜと疑問を持っても、いわゆる専門家がその専門家の思いからこうなのだよと、これまた子どもの心とは違うことを言って親を納得させているようです。

>こどもの不登校再登校の背景と、こどもの自殺の問題は、繋がりがあると考えてもよいのでしょうか?
不登校になっていない子ども、再登校の子どもでも、地球上に子どもの居場所がなくなっていることは同じです。再登校までの時間が短いからという理由で子どもの自殺を考えると言うことは、子どもの心とはほぼ関係ないことではないと考えられます。精神科医は子どもの心を考えないで、この程度のことしか考えないのでしょうね。