不登校の子どもが原因を言葉にしたとき

不登校の子どもが、その子どもの感じ方を親に伝えると、親はその原因探しをします。その原因探しの多くは子供に色々と質問をすることで、見つけ出そうとします。ところが不登校の子どもの心が辛くなって、学校を拒否しだした原因は一つではありません。複数、多くの場合、学校内での多数の辛い経験の積み重ねの結果、子供は辛くなり、学校を拒否しています。しかし、不登校の子どもは何で辛くなって学校を拒否するようになっているのか分かっていません。極近の辛かった出来事を言葉にする場合はあるようですが、其れをきっかけに学校に行きづらくなったという意味です。子供の言った言葉の内容を解決しても、学校に行きづらくなっていることに変わりありません。

不登校の子どもが言葉にする、学校内で辛かったことは、親から見たら、大人から見たら些細なことのことが多いです。何故こんなことで子供が学校に行こうとしないのか、理解できません。繰り返しますが、子供が学校で辛かったことを言葉にしたとしても、其れ以外に多くの辛い経験を子供がしていて、それらの相乗効果で学校が子どもにとって辛い場所になっていることを親や教師やその他の大人は理解できません。つまり、親や教師や大人達が子供の不登校の原因を究明しようとしても、その見つけた原因がその不登校の子どもの原因と判断できても、多くの場合間違っています。その大人が考えついた原因からの対応をしても、子供の不登校を解決出来ないのです。

又、親や教師達によって、不登校の子どもが不登校になった原因探しをされることは、不登校の子どもにとって、記憶に残っていないことを思い出せとされてしますから、子供にとって虐待を受けているような思いになります。それだけで無く、不登校の子どもにとって、辛かったことを思い出したときには、その辛かったことの再経験になりますから、ますます心が辛くなります。