韓国のいじめの厳罰化 6

いじめをする子供は心が辛い子供ですが、学校を拒否するほど辛くないか、学校を拒否したいけれど学校に押し出されている子供という意味です。日々の生活が楽しくないので、楽しさを求めているのですが、その子どもが求めている楽しさを許可されていない子供です。例えばゲームやネットを制限されていて、塾通いなど、家庭で心が安まらない子ども達です。その様な子供はどちらかというと勉学が出来る子供です。勉学が出来るから親からもっともっと勉強を求められています。けれど学校の勉強や塾などの勉強が楽しくない子供です。それでも学校での休み時間の遊びを十分に楽しめたら、その子供はその子供なりに学校生活が出来ます。

学校生活が楽しめない子供は、子供同士で遊ぶことに楽しみを見つけます。それ自体は子供として当然な姿ですが、それでも十分に楽しめない子供は、その子ども同士の仲間の一人を利用して遊ぶようになります。その方がもっと楽しいからです。けれど仲間の一人を利用して遊ぶのは、子供が楽しんでいるだけで、いじめてやろうとしているのでありません。仲間に利用されて遊ばれた子供は辛くなります。そこでその仲間から抜け出そうとします。すると仲間の一人以外の人は、その遊ばれていた子供がいなくなると、楽しくなくなるので、その仲間達の経験から、その子どもを仲間から逃げられないようにします。そしてますますその子どもで遊ぶようになります。

これがいじめが始まる時の、多くの形ですが、この段階に気づく人は居ないという現実があります。多くの場合、いじめが酷くなった時点で気づくようです。いじめが軽い段階では意地悪されたとか言う形で納められているようです。そしていじめの初期の檀家を理解するなら、いじめをいじめる子供への厳罰化で解決出来ないことは推測できると思います。日本でもいじめについて色々と成されていますが、いっこうにいじめが無くならない理由はここにあります。