トラウマと恐怖反応の違い

蛇が怖い、お化けが怖いというのは、生物の人間が持っている恐怖反応です。怖くなる原因が分かりますから、怖くなる原因を取り除けば、その人は恐怖を感じなくなります。

例えば小鳥たちが鳶を見ると怖がって、それ特有の鳴き声を出して仲間に伝え、警戒するのは、小鳥たちの恐怖反応です。鳶が居なくなると、小鳥たちのこの反応はなくなります。それまで通りの小鳥としての生活が出来ます。

殆ど全ての不登校の子供は、学校を恐怖の原因とする恐怖反応を生じます。ですから学校がなくなると、学校を意識しなくなると、この恐怖反応は終わります。ですから、不登校の子供が学校を見なければ、学校を意識しなければ、学校に行こうとしないけれど、普通の子供としての生活が出来ます。

ところが日本社会では、子供が学校に行かない、子供が学校を意識しないことを許さない文化があります。学校が子どもを苦しめているはずがないと決めている文化です。ですから、不登校の子供が何で苦しんでいるのか理解できません。不登校の子供から言うなら学校が不登校の子供を苦しめているのですが、子供がそれを言っても親や大人は、当然学校や教師、そして多くの親はそれを信じません。その様なことを言う子供が悪い、子供に何か問題があると考えます。

これを纏めますと、不登校の子供は学校自体に、学校内の何かに、恐怖反応を起こしています。しかし不登校の子供以外の大人は、学校で恐怖を生じません。学校が子どもを苦しめているはずがないと、不登校の子供が学校という物に苦しむ原因を認めようとしません。つまり不登校の子供が学校自体に、学校内の何かに反応して恐怖反応を示していても、子供には何か子供自身に問題があって、学校に行こうとしないとしないし、学校に行かせようとすると激しく苦しむのは、その子供に問題があると考えています。不登校のように、何かに原因があって子供が苦しんでいいても、子供の周囲の大人が、その子供の恐怖の原因を原因と考えないで、原因がないのに不登校の子供が苦しんでいると考えています。このように恐怖の原因があるのに、恐怖の原因を無視して、又は気づかないで、恐怖反応にだけ注目するとき、この反応をトラウマと言います。

私は不登校の子供には学校に反応をして子供を辛くするトラウマがあると表現しますが、それを恐怖反応という言葉を使うと、不登校の子供には学校に反応をして子供を辛くする恐怖反応があるが、その恐怖反応を生じる原因を不登校の子供の周囲の大人が、それが恐怖反応の原因と認めない、考えないので、それを取り除こうとしないので、また子供自身も大人が認めない恐怖反応の原因を、自分の恐怖反応の原因と言わなくなってしまいます。