学校制度と子供

<コメント>
学校の担任と話をしていても、「結局、あなたは、学校で、学級委員をやるような優等生で、虐めにもあっていない、虐めにも加わったことのない、ラッキーで、元気に挨拶ができる、勉強も運動もできる、友達も多かった人ですよね?」という、勝手な想像ですが、ある決まった形の先生像が浮かんできます。
本当にひねくれた先生に対する見方です。でもこれは、正直なところ、あらゆる先生と話して基本的には、当たっているのではと思います。
先生が例え、このままじや学校はダメだよと思っても、こどものこころが、大人のそれと違うということを理解していなければ、理解しようとする気持ちがなければ、何も期待できないということですね。
そして、先生と同じようにそれ以上に優等生的なこどもは、とても褒められます。無理していたとしても、褒められます。
だから、先生がおっしゃるように、トップのトップは、そんな道をひた走ってきた方で、信じてきたものを簡単には崩せないし、簡単には変えられないとおっしゃることも理解できます。
逆に崩そうとする異色な人が現れたらそれは物凄い人だと思います。
また、学校に楽しさがないのもわかります。
決まりごとばかりが増え続けています。
就職して食べていくためのその仕事についてもなんとなく、なんと言えばよいのかわかりませんが、個人的にモヤモヤするところが沢山あります。
でも、今はない職業が、色々出てくると思います。それでも、学校の中の文化や、やり方は仕方がないからと、たいして変わらないまま、ずっと、行くのでしょうかね。

<解説>
>学校の担任と話をしていても
お母様のご指摘は当たっていると思います。

>先生が例え、このままじや学校はダメだよと思っても、こどものこころが、大人のそれと違うということを理解していなければ、理解しようとする気持ちがなければ、何も期待できないということですね。
そうですね。先生が子供について感じる事と、子供自身が感じて居ることと、違っていることが多いので、先生の観点からの改革は子供の心に沿っていないという意味なのでしょう。でも先生の観点からの改革ですら、目先のことしか許されない現在の教育制度です。子供は時代とともにどんどん変わっていきます。学校も設備は変わって行きますが、子供への考え方はそれほど変わっていません。

>そして、先生と同じようにそれ以上に優等生的なこどもは、とても褒められます。無理していたとしても、褒められます。
ここでで質問です。子供は先生に褒められたらなぜ嬉しいのでしょうか?
例えば通りすがりの人に褒められたら、なぜ嬉しいのでしょうか?

>だから、先生がおっしゃるように、トップのトップは、そんな道をひた走ってきた方で、信じてきたものを簡単には崩せないし、簡単には変えられないとおっしゃることも理解できます。逆に崩そうとする異色な人が現れたらそれは物世の中はそう簡単に受け入れてくれないと思います。世の中はそう簡単に受け入れてくれないと思います。
一端できあがった組織を改革する難しさですね。

>また、学校に楽しさがないのもわかります。決まりごとばかりが増え続けています。
不登校の子供の対応をしていると、不登校の子供でも、学校に楽しいことがあると学校に行ってしまう子供もいます。その理由は何でしょうか?

>就職して食べていくためのその仕事についてもなんとなく、なんと言えばよいのかわかりませんが、個人的にモヤモヤするところが沢山あります。でも、今はない職業が、色々出てくると思います。それでも、学校の中の文化や、やり方は仕方がないからと、たいして変わらないまま、ずっと、行くのでしょうかね。
物質的な変化は世の中でどんどん変化をしていくでしょうが、心はその人特有、感じ方もその人特有、物質的な変化について行ける人と、ついて行けない人も出てきています。

多くの大人がその大人の立場から学校制度に対する意見を言っています。それらを総括するようになっているかどうかわかりませんが、現実に学校制度があります。その学校制度で生活を立てている人がいます。その学校制度を求めて学校に行こうとする子供がいます。

子供の立場から言うなら、子供の本能を満たす学校、そして自分が行かれる学校に自分から行こうとします。子供が自分の意思で学校を選択するようになるのは、成長をして子供なりに子ども発の意思を出せるようになってからです。高校は選ばなくてはならないから選んで言っているようです。大学もそれに近いです。

この問題がある学校で辛い思いをして不登校になり、その後その学校に戻ろうとする子供が出てくる理由は何だと思いますか?ここに現在の学校制度について緊急に考える必要がある大切な要件があるのです。